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耳(ミミ)とチャッピの布団

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danmama313@ Re:ビールのはなし(05/01) New! はい、道民は「男は黙ってサッポロビール…

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May 25, 2019
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カテゴリ:カテゴリ未分類
「第三インターナショナル」は1919年~1943年まで存在した国際共産主義運動の指導組織「コミンテルン」の別称です。
この時代にロシアに画家でもあり、彫刻家で、建築家、デザイナーかつまた舞台美術家と、なんとも多才なウラジーミル・タトリンと云う人がいました。


彼は海軍士官学校の生徒のとき、世界中を渡り歩いていましたが、イコン(聖書における重要出来事などを描いた画像)に目覚め、自分でも描き始めるようになったのが絵画を始めたきっかけです。

しかし、ロシア・アヴァンギャルドの展示会などに出展した後、1913年にピカソの絵を見てから絵画から離れてしまいます。
1917年のロシア革命後は芸術学校で教鞭を執り、人民教育委員会モスクワ支部長に就任しました。
彼の名前が国際的に認知されたのは、1919年に彼によって構想された「第三インターナショナル記念塔」においてです。
この塔は、レーニンがつくったプロレタリアートによる技術と芸術の調和と革命の理念を表しています。

第三インターナショナル記念塔は、高さ400m にもなる鉄とガラスを素材とした先鋭的なもので、当時高さで世界最高と云われたエッフェル塔を超える巨大な塔でした。
ってことは、東京タワーより高いと云うこと。


第三インターナショナル記念塔のスゴさは高さだけではありません。
塔の外側は斜めの柱と二つの螺旋構造物から成り、格子状の支柱で支えられていました。

タワーの内部には底部から順に立方体、ピラミッド、円柱、半球の四つのフォルムの構造物が設置されます。
なんと...

立方体は1年に1回転。
ピラミッドは1月に1回転。
円柱は1日に1回転。
半球は1時間に1回転するよう仕掛けられていたのです。

構造物の中は、会議室や出版局、電報、電話局などになる予定でした。
最上階の半円部分は情報局です。
この塔は残念ながら物資不足やら諸問題があって結局は実現しませんでした。
詳しい設計図も散逸してしまって、今となっては霧の中です。

1920年に模型と、綱領的スローガンがペトログラード(サンクトペテルブルク)のスヴォマス(自由国立芸術工房)で展示されました。
この模型はその後連邦会館のホールでも展示されてます。
1925年には高さ4メートルの模型が作成されました。




タトリンは晩年になって、鳥の飛び方の研究を行い、飛行技術の発展に役立てようとしていました。
当時すでに飛行機はありましたが、タトリンは飛行機による機械的な飛行は、私たち人間から「飛ぶ」という感覚を取り去ってしまったと語ってます。

タトリンは飛ぶという感覚を取り戻したいと思っていたのです。
そこで考えだしたのが航空機器「レタトリン」です。
これは人が自転車の様に漕ぐ事によって翼を動かすものです。
実際にタトリン本人が実験している映像もあるらしいのですが散逸してしまったようです。







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Last updated  May 25, 2019 06:03:32 AM
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