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旧人
ラ・フェラシー フランス出土、7万年前。ホモ・ネアンデルターレンシスの成人男性。頑丈な体つきと大きな脳容積をもち、ムスティエ型の複雑な剥片石器を使って大型動物を狩り、厳寒のヨーロッパを生きのびた。複製・国立科学博物館蔵
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100万年前から少しのち、原人はアフリカからヨーロッパへも移動したと思われる。南フランスのアラゴ洞窟やドイツのハイデルベルクやハンガリーで、原人のものらしい人骨が発見されているからである。彼らは石器を発達させ、40万年前ころからは作業の目的に応じて専用の石器をつくるようになった(調整石核技法)。こうして、ヨーロッパの原人が進化を遂げて旧人(ホモ・サピエンス)が出現したと考えられる。

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先史時代の遺跡地図 日本列島と日本人
先史時代の遺跡地図©世界の歴史まっぷ

100万年前から少しのち、原人はアフリカからヨーロッパへも移動したと思われる。南フランスのアラゴ洞窟やドイツのハイデルベルクやハンガリーで、原人のものらしい人骨が発見されているからである。彼らは石器を発達させ、40万年前ころからは作業の目的に応じて専用の石器をつくるようになった(調整石核技法)。こうして、ヨーロッパの原人が進化を遂げて旧人(ホモ・サピエンス)が出現したと考えられる。その代表的なのが、最初にドイツで発見されたネアンデルタール人である。北アフリカやアジアでもこれに類する旧人の骨は見つかっているが、それぞれの地域で原人から進化したのか、ヨーロッパの旧人が移動したのかはわかっていない。

ネアンデルタール人は12万年前から3万5000年前にかけて、ヨーロッパから中央アジアまで広く存在した(ネアンデルタール人の骨は全部で140体分見つかっている)。脳容積は現代の人類と変わらず(約1300〜1600cc)、時にそれをしのぐものさえある。しかし骨は太く頑丈で、額は後退していて眼窩がんか上に大きな隆起があった。彼らは厳しい自然環境に対しても工夫する能力をもち、小屋を作り、集団でマンモスなどの大型獣を狩猟した。石器は調整石核技法により、鋭いスクレーバー(掻器そうきと言われ、獣皮の剥離切断に用いられた)、ポイント(尖頭器)をつくった。石器や木材・木器の加工場、動物の解体場などもあった。小屋には炉と調理場があり、食料の種類も多くなったことがわかる。彼らの儀礼についても、死者の脳を食べる儀式を行い、丁寧に埋葬したことが明らかである。

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