なじみ深い和菓子「お団子」と「秋」|なぜ秋の十五夜には「月見団子」を供えるのか

そもそも「月見」とは

日本に古くから伝わる習慣の1つである「お月見」ですが、皆様はお月見したことはありますでしょうか。

「月」自体は、地球に近い天体であるため、毎日見ることができます。ではなぜ、わざわざ特定の日「十五夜」というタイミングで月を見るのでしょうか。それは、秋の夜空は澄み渡っていて、月がいちばんきれいに見えるから。またこの十五夜の日の月は、1年で最も美しいとされている「中秋の名月」と呼ばれます。この十五夜の日に「中秋の名月」の美しさを愛でる習慣が「お月見」なのです。

十五夜とは?

先ほど、「十五夜」とは一年で最も美しい月である「中秋の名月」が見られる日であると説明しましたが、これは今では、単に「15日の日」を示すという意味ではありません。

もともとの十五夜とは、「中秋の名月」の表現が「旧暦8月の月」を指し示していて、「中秋」は「秋の中日(=旧暦8月15日)」のみを指していたことに由来します。これによって現在でも「十五夜」という名称が残っているわけです。

今は旧暦ではなく「新暦」であるため、”8月15日=十五夜”ではありません。現在の新暦と旧暦では1ヶ月から2ヶ月のずれがあります。現代に当てはめると「9月7日から10月8日の間の1日」が「十五夜」にあたります。ちなみに、2022年は9月10日(土)が「十五夜」です。

十五夜はいつから始まったか

旧暦のころから存在する「十五夜」ですが、いつから始まったのかご存知でしょうか?

さて、昔話で「かぐや姫」という物語が存在するように、日本では、昔から月を神聖視してきました。その歴史はかなり古く、「十五夜」という習慣自体が存在していなかったにしろ、なんと縄文時代にはすでに月を愛でる文化があったとされます。

時代は進み、「十五夜」に月見をするという現代のスタイルが確立したのは、平安時代頃となります。当時は月を見ながらお酒を酌み交わし、船上で詩歌や管弦を楽しむという、とても雅なイベントだったようです。ちなみに、この頃の「十五夜」は、空に浮かぶ月を眺めるものではなく、平安の貴族たちは、水面や盃に映った月を愛でていたそうです。いかにも平安時代といった風流な雰囲気を感じますよね。

このように、元は貴族の習慣のひとつであった「十五夜」ですが、江戸時代になると庶民にも広がります。庶民が楽しんだ「十五夜」は、貴族のように月を愛でるだけのイベントではありません。「十五夜」の時期は田んぼの稲も育ち、非常に重要な収穫のタイミングです。そのため、「十五夜」はどちらかといえば、月を眺めるというより【無事に収穫できたことへの喜びを分かち合い、感謝する日】という意味が強かったようです。

十五夜に「お月見団子」を供える理由

さてこちらが本題ですが、なぜ十五夜のお月見の日に「お団子」を供えるのでしょうか。

【お団子を供える】という習慣は、実は江戸時代からとなります。団子を供えるという習わしは、先ほど記載したように、十五夜がお米などの「収穫の時期に重なっている」という事に大きな意味があります。お米の粉で月に見立てて作った団子を供えるということで、お米が無事に収穫できたことに感謝し、次の年の豊作を祈願する。こういった理由から、お団子を供えるようになったのです。

また当時、月は信仰の対象でもあり、月の神である月読命(つくよみのみこと)が農耕の神でもあったためともいわれています。

お月見団子の「団子の数」とお供えの仕方

月見団子といえば、たくさんのお団子が重なって、三角形に積み重ねられたシルエットをイメージすると思います。この時積み重ねるお団子の数は決まっていて、十五夜の日には「十五」にちなんで「15個のお団子」を重ねます。

ちなみに、団子を三角形に積み上げていくのは、三角形の最上部を天に向けることで、月見団子を通し、収穫の感謝、祈願の気持ちを月まで届かせようと考えたから。一番上の団子は、霊界との懸け橋になるとも考えられていたそうです。また当時の人は、供えた月見団子をいただくことで、月の力を分けてもらい、健康と幸せを得ることができると信じていました。

さいごに

日本伝統の習慣「お月見」と「十五夜の中秋の名月」。いかがでしたか?

習慣自体は知っていても、深くは知らなかったという方もいらっしゃるのでは。ぜひ今年のお月見には、「月見団子」を供え、月の美しさとめぐる季節を感じてみては。今回の記事では「和菓子」自体ではなく風習に係るご紹介がメインとなりましたが、こういった伝統的な文化の中にも常に寄り添う【和菓子】の存在は、やはり日本に暮らす私たちにとっては大きなものと言えますね。

PAGE TOP