“一休さん”を訪ねる、秋の京都旅 一休寺・大徳寺・建仁寺など

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一休禅師像@一休寺

2018年秋の「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンの舞台である「酬恩庵(しゅうおんあん) 一休寺」(以下、一休寺)は、室町時代の禅僧・一休宗純(いっきゅう そうじゅん)が晩年を過ごしたお寺。“一休さん”といえば、テレビアニメでおなじみで、今も親しみあるキャラクターですよね。でも、実際にどんな一生を過ごされた方なのかご存知の方は少ないのではないでしょうか。

かくいう私もそのひとり・・・ あらためて一休さんについて調べてみると、京都にはいくつものゆかりのスポットがあり、いずれも紅葉が美しいお寺です。この秋は一休さんを偲びつつ、秋の京都を旅してみるのはいかがでしょうか♪


一休さんが生きたのは、どんな時代?


高弟・墨斎(ぼくさい)作の一休像@一休寺


まずは、一休さんが生きた時代背景を。幼少期には「屏風の虎退治」などいくつもの“とんち話”を、大人になってからは“破天荒な風狂の坊主”として数々のエピソードを残した一休さん。実際に生まれ過ごしたのは、室町時代の中期から後期にかけての時代です。

室町幕府第3代将軍・足利義満の治世末期から、応仁の乱を経て戦国時代へと至る時期。仏教界では室町幕府により禅宗が保護され隆盛を極めていましたが、その反面、僧侶が世俗化し賄賂などが横行。市中を見れば、強盗や一揆が多発するなど荒廃した時代でした。


小僧時代の一休さん像@一休寺


禅僧の堕落や民衆の困窮を目の当たりにした一休さんは、“本来の禅の在り方”や“真の悟り”を求め、一生を過ごされたといいます。


一休さんが生まれ、幼年期を過ごした【地蔵院】


“竹の寺”として知られる地蔵院は、秋には紅葉が美しく色づきます


明徳5年(1394)正月元旦。母・伊予局(いよのつぼね)が身を寄せていた嵯峨・地蔵院の近くの民家で、一休さんは生まれたと伝わります。伊予局は、北朝最後の天皇である後小松天皇の寵愛を得ていましたが、南朝に仕えた家柄のために宮廷を追われ、隠れ住んだこの地で一休さんを育てることになりました。

当時は、南北朝が合体(1392年)して間もない頃。北朝を奉じた室町幕府の3代将軍・義満が金閣寺を建立したのが応永4年(1397)。足利将軍家の力も強く、南朝にゆかりの深い一休さんは権力から離れるため、幼くして、かつて四条大宮付近にあった安国寺という禅寺に預けられたそうです。


地蔵院の境内には一休さん母子を偲ぶ石像が建てられています



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【紅葉の見頃】例年11月中旬~12月上旬


「神童」の名をほしいままにした少年期【鹿王院】



少年期の一休さんは「神童」として知られ、テレビアニメのごとく利発な子どもであったそう。12歳の頃には詩文の才能を発揮し、仏教の経典『維摩経(ゆいまきょう)』を熱心に勉強したのだとか。その講義を受けたのが、宝幢寺(ほうどうじ)です。足利義満が嵯峨に造営したお寺で、当時はかなりの大きさを誇ったと伝わりますが、現在はその塔頭であった鹿王院(ろくおういん)だけが往時を留めています。

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漢詩を学び、修養を積む【建仁寺】



祇園にある建仁寺は、禅寺の中でも「学問面(づら)」と称されるほど詩文芸術に秀でた禅僧を輩出してきたお寺。この頃は禅僧による漢詩文「五山文学」の隆盛期で、一休さんも建仁寺で作詩を学ばれました。一休さんには漢詩集の『狂雲集』や『自戒集』などの著述がありますが、それらの素養を早くから身につけ開花させていたようです。

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一休さん開山のお寺【大徳寺 真珠庵】


大徳寺 真珠庵表門


一休さんは、臨済宗のお坊さん。この時代、臨済宗は幕府と密接に結びつき、天龍寺相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺(現在は東福寺の塔頭、非公開)は「五山教団」を形成して力をつけていました。それに対して権力から遠ざかり坐禅修行に励んだのが、妙心寺大徳寺の派。“本来の禅の在り方”を求めた一休さんは、近江・堅田(かただ)にあった大徳寺派の高僧・華叟宗曇(かそう そうどん)の弟子となります。

修行を重ね禅の道を悟った一休さんは、30代頃に師のもとを離れ、小庵を転々としながら各地を訪ね歩きます。

応仁元年(1467)、74歳の時に「応仁の乱」がはじまり、大徳寺が炎上。その再建のため、文明6年(1474)に大徳寺第48世の住持として一休さんに白羽の矢が立てられたのは、81歳のときのことでした。

伊野孝行「オトナの一休さん」


現在特別展を開催中の大徳寺塔頭・真珠庵(しんじゅあん)は、一休さんを開山とするお寺。一休さんが亡くなった後、住まいとしていた小庵跡に開かれました。江戸時代に再建された後、400年ぶりに新調された襖絵の特別公開は2018年12月16日(日)までとなっているので、お見逃しなく!

\真珠庵の襖絵について、詳しくはこちら/
⇒【京さんぽ】2018年秋・特別公開! アートな京都のお寺5選

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一休さんが晩年を過ごしたお寺【酬恩庵 一休寺】



各地を転々とされた一休さんが晩年の拠点としたのが、京田辺市・薪(たきぎ)にある一休寺。元は妙勝寺(みょうしょうじ)というお寺で、鎌倉時代の臨済僧・南浦紹明(なんぽ じょうみょう)が中国・宋から帰ってきた後に建てた禅の道場でした。その後、戦禍により荒れ果てていた寺を一休さんが再建。師の恩に報いるという意味で「酬恩庵」と名付け、60歳過ぎから88歳までを過ごしました。

方丈庭園南庭 右手に宗純王廟(一休さんのお墓)が見えます


応仁の乱の戦火を逃れるとともに、薪村ののどかな景色や人々との触れ合いを楽しんだという一休さん。70歳を過ぎてからの愛人・森女(しんにょ)をそばに置き、大徳寺へと通う生活を続けながら、文明13年(1481)11月21日、88歳でこの世を去ります。遺骨はこの地に葬られ、庵は一休さんにちなんで「一休寺」と呼ばれるようになりました。

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⇒【そう京キャンペーン】今秋おすすめ! 穴場の紅葉スポット「一休寺」ってどんなお寺?

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一休寺、2018年秋のスペシャル企画!!


左:一休号、右:一休禅師頂相


一休寺では、2018年11月10日(土)から、特別展「祖師と肖像」が開催されます。臨済禅の祖である南宋の僧・虚堂智愚(きどう ちぐ)から一休宗純、そして一休の弟子・墨斎までの、大徳寺の法系の頂相(ちんそう、禅僧の肖像画)を展示するという、この展覧会。あわせてテレビアニメ『オトナの一休さん』の作画担当イラストレーター、伊野孝行さんによるNEO頂相(!?)も発表されます。また、一休さんの漢詩集『狂雲集』や、一休さんの五条袈裟なども展示され、まさに「一休さん尽くし」の展覧会です!

「そう京」イベントでは、それにあわせてスペシャルトークショーを実施。白隠(はくいん)学の第一人者・芳澤勝弘(よしざわ かつひろ)先生、伊野孝行さん、人形作家の北野深雪さん、そして一休寺副住職の田邊宗弘さんの4人が一休さんを語り尽くします! 一休さんをもっと知りたいという方は、ぜひ参加してみてくださいね♪

\一休寺で実施する「そう京」イベントの詳細をご紹介しています/
⇒【イベント通信】一休さんってどんな人? 一休寺でトークショー開催のお知らせ


■特別展「祖師と肖像」
【日程】2018年11月10日(土)~12月2日(日)
    9:00~17:00、宝物殿9:30~16:30
【場所】酬恩庵 一休寺 宝物殿 詳細情報はこちら
【入場料】無料、要境内拝観料500円
【問合せ】0774-62-0193
【公式ホームページ】http://www.ikkyuji.org/

 


 

Written by. みさご

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