「かおる姫」と呼ばれて人気爆発。菅山かおるが語る当時と母になった今 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

インドア代表時代は「かおる姫」と呼ばれ大人気に photo by Sakamoto Kiyoshiインドア代表時代は「かおる姫」と呼ばれ大人気に photo by Sakamoto Kiyoshiこの記事に関連する写真を見る――国際大会で、海外の選手たちを相手にプレーした印象は?

「最初は海外選手との体格差を痛感しましたが、海外チームに勝つには、日本人選手の細かい技術を生かした正確さ、粘り強さで勝負するしかないなと思いました」

――バレーファンではない人たちにも「かおる姫」として認知するほど人気が爆発しました。戸惑いはありませんでしたか?

「最初は『姫』と言われるのが恥ずかしかったですね。でも、そのニックネームをつけてくださったおかげで、多くの方に知っていただき、応援してもらえるようになったのですごく感謝しています」

――現役時代に取材させていただいた記憶では、菅山さんはすごくクールなイメージがありました。今のようにスムーズに話す姿がとても新鮮です。

「そうですね......。現役時代は、取材が嫌いだったわけではないんですが、あまり話すのが得意ではないので戸惑いもあったんだと思います」

――その後、2008年にJTを退社してビーチバレーに転向することになりますが、タレントとしても引く手あまたな状態だったんじゃないですか?

「JTを退社してからは、ありがたいことにたくさんお声がけをいただきました。でも、タレント事務所などに所属するよりも、単純に好きなバレーボールに携わりたいと思っていました。そんな時に、ビーチバレーの仕事をいただいたんです」

――どんなお仕事だったんですか?

「六本木ヒルズで開催された、ビーチバレーボール大会の解説でした。その時は、本当に失礼な話なんですけど、ビーチバレーは『楽しくやるスポーツ』だと思って見ていました。でも目の前で試合を見たら、想像していたより迫力がすごかったんです。

 その大会をきっかけにビーチバレーに興味を持って、今の夫(西村晃一)が代表を務めるWINDS(プロビーチバレーボールチーム)に所属しました。ブラジルなど海外遠征に連れて行ってもらい、世界のトップ選手と一緒に練習させてもらったんですが......。まったく思うようにプレーできず、ビーチバレーの難しさを痛感しました。あの悔しさは今でも覚えています」

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