「東京が、近くて遠い」氣志團・綾小路 翔をつくった木更津

インタビューと文章: 小沢あや 写真:佐野円香

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氣志團は1997年に木更津で結成された、日本唯一の「ヤンクロック」バンドです。ボーカルは「房総の狂犬」のキャッチコピーで親しまれている、綾小路 翔さん。千葉を心から愛している彼ですが、昔は東京への憧れとコンプレックスを抱えていたといいます。

毎年袖ケ浦海浜公園で開催している野外フェス「氣志團万博」の立ち上げ秘話や、昨年秋の台風・大雨で被害を受けた地元への想いを聞きました。

「チーバくんのヘソ下」こと千葉県木更津市出身

――  今回は綾小路さんに、地元・千葉県への愛を語っていただきます。

綾小路翔さん(以下、綾小路):ありがとうございます。いきなり身も蓋もないことを言うと、千葉の人って、他県と比べると、郷土愛ってあんまりないと思うんですよね。

――  えっ、そんな感じですか。

綾小路:東京の隣で、行こうと思えばすぐ都会に出られる距離だから。松戸・船橋辺りの人たちはおそらく天気予報も「東京」見てると思うんですよ(笑)。木更津の人間も、千葉から上は東京だと思ってますからね(笑)。

――  千葉県ってかなり広くて、エリアごとに文化もまったく違いますよね。

綾小路:電車も千葉・蘇我から分岐するんですが、分かりやすく言うと東京湾側が内房、太平洋側は外房。一駅下るごとに、方言もディープになってきます。

――  その中で、綾小路さんの地元・木更津はどんな街なんでしょうか?

綾小路:僕らの育った木更津は、「チーバくん」の体でいうと、おヘソの下あたりです。

――  あっ、「千葉県民、みんな地元をチーバくんで説明しがち説」が実証されました、今。

綾小路:みんな言うよね。県外の人はチーバくん自体ピンと来ないみたいですが(笑)。チーバくんに千葉県の地図を重ね合わせて見てみると楽しいですよ。実は富津岬がシンボルだったり(笑)。

――  チーバくんを出すと、地理が分かりやすいですね。木更津の位置、完全に覚えました。

綾小路:木更津は、南房総の入り口です。商業施設だと、マザー牧場とか、最近だとアウトレットが有名ですね。昔は古き良き港町って感じだったけど、アクアラインが開通してからは、街の状況も随分変わりました 。千葉の田舎の人間は、東京寄りを「上り」、館山方面を「下り」って言うんですが、まさに木更津は名実ともに「下りのチャンピオン」でしたね。

――  道路や電車の方面で呼ぶんですね。綾小路さんも、国道をバイクで走ってたんでしょうか。

綾小路:館山市から木更津市を通る、127号線が僕らのパラダイスロードでした。通称「ワンツーセブン」。よく仲間たちとバイクで走ってましたね。ゲームセンターの駐車場が集合場所で。懐かしいです。

ヤンキーブーム終焉に受けた影響

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――  綾小路さんは、ヤンキー世代ど真ん中……ではないですよね?

綾小路:僕の中学〜高校生だったころが、ちょうどヤンキー終焉の時代ですね。平成が始まると同時に、もう東京ではヤンキーカルチャーは終わってたんです。でも、あのころは都会の情報や流行が届くのが遅くて、まだまだ残り香があったんですよ。

――  当時、どんなものに影響を受けてましたか?

綾小路:1990年代を代表する、ヤンキーマンガの数々ですね。ちょうどその時代、メジャー漫画誌で一気にヤンキー作品が連載してて。『ろくでなしBLUES』『特攻の拓』『カメレオン』『今日から俺は!!』『湘南純愛組!』。我々世代の地方都市の人間は、かなり強い影響を受けているはずです。一般的な不良の呼び名が「つっぱり」から「ヤンキー」に変わったのも、そのころだったのかな? 当時の人気漫画『ヤンキー烈風隊』がきっかけかもしれません。

――  マンガが中高生に与える影響は、きっと今より強烈でしたよね。

綾小路:そうですね。とくに、昔の木更津はとにかく閉鎖的だったので。俺たちも、例えば柏とか松戸に生まれていたら、もっと違うことやっていたかもしれませんね。木更津って、原宿に出るのに2時間以上かかったんですよ。しかもあの頃は電車も1時間に2本とかだったし。隣県とは言え、微妙に距離があって、とにかく最新情報を得るのが難しい。だから、みんなちょっと変なファッションになっちゃうんです。本人的には頑張ってアンテナを張っていたつもりだったけど、大分間違えていましたね(笑)。

――  まだスマホもない時代だし、トレンド追うのも大変ですよね。

綾小路:田舎に行くほど、パンクスもギャルもちょっと派手になるんですよね。「個性を出すために過激にしちゃおう!」とアレンジし過ぎて、ズレちゃうんですよ(笑)。シド・ヴィシャスに憧れていたはずが、やり過ぎて包帯とか有刺鉄線を巻いてしまったり(笑)。いわゆるストレンジパンクスですね。派手ファッションでいうと、X JAPANのYOSHIKIさんやToshlさんも、千葉の館山出身。たぶん、当時の彼らにも「東京のヤツらにはやれないことをやろう」という、南房総特有の対抗意識がベースにあったはずなんですよね。

「近くて遠い東京」への強烈な憧れ

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綾小路:そうそう。SUUMOさんが千葉の話を聞いてくれてるの申し訳ないけど、中学時代は早く地元を出たくてしょうがなかったんですよ。「ここは何にもないクソみたいな街だ!早く東京に行きたい!」って気持ちが強くって。

――  意外です。ずっと地元大好きな方なのかと思ってました。

綾小路:当時の木更津はド田舎だったし、恥ずかしながら、自分もステレオタイプのヤンキーだったので「このままいたら、なんとなくデキ婚して、特別やりがいのない仕事をしながら地味な人生を送るんだろうな」って思っちゃったんです。

――  10代で上京したのには、そんな背景があったんですね。

綾小路:当時はとにかく「東京に住む」が目標だったんです。高校卒業後、就職したガソリンスタンドの社員寮が都内にあって、無事に上京はできたんですが、当然ながらいなかっぺが夢見た東京生活とはまったく違うもので。 仕事が手一杯でバンド活動は一切できなかったし、何しろお金も無かったし、憧れの東京ライフには程遠かったですね。早い段階で絶望しました(笑)。

――  木更津シックになることはなかったですか?

綾小路:木更津シックというよりは、とにかく仲間たちを羨んでました。「実家にいたら車で遊べるのにな、ザウスでスノボも出来るのにな」とか、そんな小僧感で(笑)。冷静に考えると、千葉って、車さえ持っていれば、海あるし最高じゃないですか。

――  実家に帰る、という選択肢はなかったんですか?

綾小路:絶対に地元には戻りたくなかったんです。学校で「あいつ、東京行くらしいよ」って噂になっていたから、卒業アルバムの寄せ書きでも「有名になっても忘れないでね!」みたいなメッセージを書いてくれたクラスメイトもいて(笑)。みっともないから、地元に帰れませんでしたね。くじけそうになるたびに、卒業アルバム開いて、耐えてました(笑)。

――  なるほど。

綾小路:でも、2000年代くらいから「マイルドヤンキー」って概念も出てきて、地元に残る人が増えましたよね。バンドマンも、地方にいながらにして全国区の人気を持つ人たちが現れ始めた。でも、我々の時代はまだインターネット前夜だったので、今とは全然違うんですよね。「東京に行かないと、人生が始まらない」という意識が強かったんです。他県の人には「千葉なら東京近いじゃん」って言われるんですけど「近くて遠い」からこそ、過剰に意識したのかも知れません。

地元愛がうまれたきっかけは、音楽イベント

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――  綾小路少年の中に「地元愛」が生まれたのは、いつからですか?

綾小路:高校生のときですね。木更津の先輩たちが立ち上げた『ダイナマイトどんどん』っていう、アングラなクラブイベントがきっかけです。何もない街に、明かりを灯してくれたんですよ。「木更津にこんなにおしゃれで、音楽に詳しい人がいたんだ!」って、当時高校生だった僕らも大興奮で。

――  そこから交流関係も広がって、音楽の道に?

綾小路:そうですね。そこで出会った人たちに音楽を教わって、なんでもメモしてレコードを買いまくりました。俺、「暴走族じゃないコミュニティ」に初めて触れたんですよ。アメ車に乗り込んだロカビリーの人、革ジャンにフェイクファーをまとったバイカーたち、50sファッションのおしゃれな女の子たちが、木更津に集結して。「一体、何が起きてるんだ!?」って衝撃だったんです。そこから、世界が変わったんですよね。それまでの自分の人生の中で、一番ワクワクした瞬間でした。でも、高校卒業が見えてきたころに、やっぱり上京することにしたんです。

――  そんなに素敵な仲間ができたのに、地元を出たのはなぜでしょうか。

綾小路:「このまま先輩にくっついててもダメだ、俺の出番はずっと来ない」と思ったんです。先輩方が立ち上げたイベントですからね。俺らは俺らの力で認めてもらいたいと思って。東京に行って、中心の世界を知って、外から地元に還元して盛り上げようと考えたんです。

千葉県・袖ケ浦海浜公園で開催される野外フェス「氣志團万博」

――  宣言通り、2003年からは「氣志團万博」をスタート。2012年からは、毎年袖ケ浦で開催していますね。フェス開催にあたり、地元からはどんな声がありましたか。

綾小路:フェススタイルになって初めての年は、行政、消防、警察、JRさんをはじめ、地元の方々にご協力をいただくところからスタートしました。当然ながら、一番の問題は騒音。港町ですから、漁師の方も多いですしね。皆さん、翌日の漁のために早くお休みになるわけで、終了時間は確実に守らなきゃならない。

――  もともとイベントが開催が想定された土地でもないですから、大変だったでしょうね。

綾小路:完全に手探りでしたね。トイレの数も、宿も足りない。何より、長年開催していても、地元の方々にはなかなか届かなくて。「氣志團が何かやってるらしいな……」ぐらいのもので。

――  風向きが変わったのは、何年くらいですか?

綾小路:明確なターニングポイントはなくって、少しずつ、ミリ単位で変わってきた感じです。初めてやるイベントに呼ばれるって、出演アーティストも不安に違いないわけで。「本当にお客さん来るの?」って。 それでも「氣志團がやるフェス」というだけで、超一流のアーティストのみなさまがご快諾くださって。

――  2012年は、浜崎あゆみさんやももいろクローバーZさんが出演してましたね。

綾小路:スーパースターたちのおかげで、ハクをつけてもらいましたね(笑)。心から感謝しています。和田アキ子さんがご出演くださった年には、地元のご年配の方々からも、「アッコさんが来るらしいな!すごいな!」と口々にお声をかけていただきました。

――  地元の高齢者にも認知されてきたんですね。巨大イベントだけに、経済的な効果も大きそうです。

綾小路:宿も足りないから、廃業している民宿に電話をかけて「この時期だけ営業してもらえませんか」とお願いをしてみたり。

――  そんな交渉ごとまでしていたんですね。

綾小路:この地域は工業地帯なので、元々かなり人口も多かったんですが、バブルがはじけた事も影響したんでしょうね。90年代に入ってからは商業施設も宿泊施設も軒並み減りまして。そんな故郷に少しでも貢献できることはないだろうかと考えたんです。

――  原動力は、地元への愛だったんですね。

綾小路:ここ数年で、ようやく地元の方々にも「街に人がたくさん来るフェスだ」と認識していただけるようになったのが、何よりうれしいですね。最近では木更津に新しいホテルがいくつかできたりして。もちろん、年に2日しかない氣志團万博が直接的な理由では ないのですが(笑)。ただ、ほんの少しでも地域のお力にはなれているんじゃないかな、と自負しています。

気軽にボランティアに来てほしい

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――  2019年9月9日に上陸した台風15号と10月25日の大雨の影響で、千葉は大きな被害に見舞われました。綾小路さんも、「令和元年台風・豪雨による被災支援 マブダチ募金」を立ち上げ、現地の情報を発信されていましたね。

綾小路:全国のファンの皆さんをはじめ、先輩方やバンド仲間、各地の飲食店も「マブダチ募金」を掲げて、お金を届けてくださいました。ご支援、本当に本当にありがとうございます。でも、欲を言えば、もうひとつお願いしたいことがあって。ちょっと言い方が難しいんだけど……。

―― もちろん、記事にしっかり入れ込むので、教えてください。

綾小路:募金は、本当にありがたいです。同時に、もしも千葉に興味があって、関東にお住まいの方がいたら、行楽がてらで結構ですので、現地のボランティアに参加していただければなぁと思います。誤解を恐れずに言えば……本当にすみません。あえてこの表現を使いますが、実は楽しいんです。

―― 「不謹慎」という空気も確かにありそうですが、綾小路さんはあくまで「ボランティアを楽しんでほしい」という気持ちなんですね。

綾小路:楽しいとか気持ちいいなんて言ったら、被災者のみなさんの感情を逆撫でしてしまいそうですよね。でも、自分が出逢った地域の方々は、みなさん前を向いていたんです。俺らの地元を含め、まだまだ復興したと言えない場所はあります。そんななか、何度か有志でボランティアに行ったのですが、自分はすごくリフレッシュできたんです。

―― 実際に、現地のボランティアではどんな作業をされたんですか?

綾小路:瓦礫を運ぶことくらいしかできなかったんですが、一心不乱に体を動かして、頭をからっぽにできるし、少しでも人様のお役に立てる。肉体労働って、ランニングみたいな感じ。自己肯定感や多幸感が分泌される気がするんですよね。

―― 地元の方との交流も?

綾小路:そうそう。地元の方におすすめのお店を教えてもらって。動いた後のご飯って、本当に美味しいんですよ。最近はお宿も復活しはじめましたし、作業後にお風呂に入ったりも最高でしょうね。帰るときには、地域の方が「わざわざありがとな!」「また来てな!」って、声をかけてくださいました。綾小路に騙されたと思って、ぜひボランティアに参加してみてほしいです。「募金」「行楽」「ボランティア」、お願いばかりすみません。でも、自分が愛する房総に遊びに来てほしいんです。本当にお気軽に。今はね、日本全体がそれどころじゃないとは思うんだけど……。また落ち着いたら何卒、夜露死苦お願いいたします!



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お話を伺った人:綾小路 翔

綾小路 翔

孤高のヤンクロックバンド、氣志團の誇り高き團長。1997年、千葉県・木更津にて氣志團結成、2001年メジャーデビュー。ジャンルレスにアンダーグラウンド、オーバーグラウンドの両サイドを行き来する、天下無双のツッパリクリエイター。2012年より、地元千葉県・房総の地で「氣志團万博」を開催。他のフェスとは一線を画する、ありえないメンツを集め続ける前代未聞のフェスは毎年5万人を動員。今年も9月26日(土)、27日(日)に氣志團万博2020の開催が決定している。


聞き手:小沢あや

小沢あや

コンテンツプランナー / 編集者。音楽レーベルでの営業・PR、IT企業を経て独立。Engadget日本版にて「ワーママのガジェット育児日記」連載中。SUUMOタウンに寄稿したエッセイ「独身OLだった私にも優しく住みやすい街 池袋」をきっかけに、豊島区長公認の池袋愛好家としても活動している。 Twitter note