田中宇の国際ニュース解説
世界はどう動いているか

 フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)が、独自の視点で世界を斬る時事問題の分析記事。新聞やテレビを見ても分からないニュースの背景を説明します。毎週1−2回配信。無料です。

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反応が遅い時があります

復活する国際左翼運動(2)矛盾のパワー
 【2000年5月15日】 欧米で盛り上がる反資本主義の運動は、組織がインターネットに似ている。運動はそれ自体が敵である国際資本主義システムの上に成り立っており「自己否定」の側面がある。途上国の貧しい人々の苦しみを減らすはずが、実際には貧しい人々自身は運動にたずさわらず、ほとんど先進国の人々が運動を進めている。

復活する国際運動左翼(1)IMF乗っ取り計画
 【2000年5月11日】 市民運動がIMFやWTOへの攻撃を強め、相手方の譲歩を容認しないのは、目的がこれらの国際機関の「監視」ではなく「乗っ取り」だからではなか。急速に国際化が進む世界の中で、IMFなどの国際機関は世界政府的な役割を担いつつあるが、ここ数年、運営方針をめぐる右派と左派の対立が続いているからである。

激動続く台湾:中華民国の終わり
 【2000年5月8日】 李登輝は権力の頂点に登りつめながら、民主化の逆戻りを防ぐため、政治的に「自爆」することで、国民党政権を潰してしまった。「これはまさに、戦争中の日本の特攻隊精神だ、やっぱり李登輝は半分日本人だったんだ、と外省人や共産党は思っていますよ」と、台北の知日派が語っていた。

ジンバブエ:煽られる人種対立
 【2000年5月1日】 かつてアフリカで黒人と白人が和合する数少ない国の一つだったジンバブエでは最近、この長所がまさに対立の火種となっている。模範的な指導者といわれたムガベ大統領の政策が失敗し、経済は破綻したが、大統領は国民の批判をそらすため人種間の対立を煽り、白人農園主が何人も殺されることになった。

コザで沖縄民謡にふれる
 【2000年4月24日】 沖縄の三味線(サンシン)で、西欧音楽や大半の現代音楽を弾いても今一つという感じだが、レゲエなど世界の民謡系の音楽は、味わいが出せるそうだ。琉球民謡の大家である我如古より子さんは「沖縄のお年寄りがレゲエを聴いて、これはいいねえ、と言いながら踊り出していましたよ」と言っていた。

沖縄の歴史から考える
 【2000年4月17日】 台湾では、沖縄を日本とは別の国のように扱っている。沖縄が明治維新までの500年間、中国の王朝帝国に従属する王国だったからだ。沖縄は「米軍基地が台湾を守ってくれている」という意外な点で、今も台湾とつながっている。

台湾人の独立精神
 【2000年4月10日】 台湾の「独立宣言」は、1回目が17世紀の鄭成功の時、2回目が1895年の「台湾民主国」、そして3回目は1947年「228事件」後の自治要求である。いずれも、前の外来権力が去った後に出され、次の外来権力によって弾圧され、終わっている。その意味で、先の総統選挙で民進党の陳水扁が勝ったことは、4回目の独立の意思表明ともいえる。

石油価格をめぐる仁義なき戦い
 【2000年4月2日】 昨年以来、OPECは生産調整によって世界の石油相場を上下させているが、25年前に石油危機を起こして見せつけた国際的な政治力はもはや失っている。3月の増産決定もアメリカの圧力に屈したもので、反対したのは反米を貫いてきたイランだけだった。

台湾・第2の光復(1)親日の謎を解く紀念館
 【2000年3月30日】 植民地支配されるのは嫌なことであるはずなのに、台湾の人々はなぜ親日なのだろう。その答えかもしれない考え方を、台北市の中心部にある「228紀念館」で得た。民進党の陳水扁が台北市長だった時に作られ、国民党政府による弾圧を批判する展示館なのだが、そこで読んだ台湾独自の歴史観の中に、日本の植民地支配に対する肯定が盛り込まれていた。

集団自殺か殺害か:ウガンダ終末教団事件
 【2000年3月27日】 アフリカでは内戦や独裁政治に加えてエイズが蔓延し、干ばつや大水害も続いている。人々の苦しみは増し、生きる希望を持ちにくい。その中で、既存の権威・権力を批判する宗教家が、カルト教団をあちこちで作っている。その一つが3月17日に信者が集団死した「神の十戒の復活を求める運動」だった。この事件は、教祖による信者の大量殺害事件だった可能性がある。

台湾選挙(3)李登輝辞任のいきさつ
 【2000年3月23日】 李登輝が陳水扁を支持していたとしたら、その理由は国民党を「浄化」しようと思っていたからだ。だが陳水扁の勝利は党内の外省人勢力を力づけ、李登輝は辞任に追い込まれた。今後の主導権争いで外省人勢力が勝ったら、国民党は陳水扁政権に全面抵抗し、台湾の政治は不安定になる。

台湾選挙の興奮(2)投票前夜
 【2000年3月20日】 台湾は今回初めて、国民党の一党支配が終わる可能性を持った選挙を経験した。人々は、国民党の圧政時代に感じてきた重荷から解放されるという喜びを感じているようだった。そこに暗い影を落としているのが、中国からの威嚇であり、それを避けようとする人々が、独立系の宋楚瑜候補を支持していた。

興奮高まる台湾選挙
 【2000年3月17日】 投票を間近に控えた台湾は、選挙一色の状態とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。新聞はどこも、報道ページの半分以上が全面、選挙に関することだ。一般の台湾の人々も、選挙に対する熱意はすさまじい。3月18日の選挙の一週間ほど前から、主要3候補は連日のように、10万-40万人規模の大集会を開いている。

アメリカの政治を変えるインターネット
 【2000年3月13日】 インターネットはアメリカで、既存の政治勢力に属さない新しい中道派の人々を生んだ。彼らはクリーンな選挙を求めた共和党のマケイン候補の主張に感銘し、9つの州の予備選挙を史上最高の投票率に押し上げた。だが、マケインの優勢に危機感を募らせたブッシュは、一度は距離を置いた旧来勢力に、再び擦り寄らざるをえなくなった。

捨てられた独裁者ピノチェト
 【2000年3月9日】 3月3日、拘留先のイギリスから祖国チリに帰国したピノチェト元大統領は、出迎えの人々を驚かせた。裁判に耐えられないほど健康を害しているとイギリス政府が認定されたのに、意外と元気だったからだ。イギリスが、1年半前は積極的に逮捕した彼を、その後ニセの診断書を書いてまで帰国させたくなった背景には、チリの選挙で左派陣営を勝たせる戦略があったのではないか。

「サイバー国家」の暗部
 【2000年3月6日】 国家のように見えて国家ではない・・・インターネット上だけに存在する「サイバー国家」の中には、知能犯罪の温床となっているものがいくつかある。これらの「国家」内に設立された「銀行」が、本物の銀行のように偽って一般投資家から資金を集める詐欺や、国家として実体がないのに、公共事業のための「国債」を発行している例もある。

世界中の通信を盗聴する巨大システム
 【2000年3月2日】 第2次大戦中、日本軍などの交信を傍受するため、アメリカを中心にイギリス、カナダ、オーストラリアなどが加わり、世界的な傍受・盗聴システムが作られた。そのシステムは戦後も拡大を続け、今では電話や電子メール、ファクスなど、世界中の国際通信のほとんどと、国内通信の一部を傍受・盗聴し、諜報機関が危険視しているテーマの通信だけを検索抽出できる巨大システム「エシュロン」となった。

難航する中国のWTO加盟
 【2000年2月28日】 中国とアメリカの関係はここ2年ほど、恋愛ドラマのように、土壇場の大逆転、憎悪と親近感の交錯などの連続だ。その象徴が、中国のWTO加盟をめぐる交渉である。WTO加盟の前提となる米中間の貿易協約は、99年11月に何とか締結したが、その後アメリカの政局は選挙モードに入り、議会が批准しないまま、棚上げ状態が続いている。

「負けるが勝ち」の台湾国民党
 【2000年2月24日】 台湾で50年近く与党の座にあった国民党は、3月18日の総統(大統領)選挙で、民進党など他の候補に破れる可能性が出ているのだが、国民党の上層部は「選挙に負けても良い」と思っているふしがある。選挙で「政権交代」があれば、立派な民主主義国として国際社会も無視できなくなるからだ。

終わり方が分からない北アイルランド紛争
 【2000年2月14日】 北アイルランド紛争は、16世紀にイギリスが行った大量殺戮が原点だが、最近ヨーロッパで政治経済の統合が進み、イギリスとアイルランドのどちらに属するかという問題は、超越されつつある。そのため、北アイルランドでは敵味方をこえた連立政府が作られたが、祖国統一に向けた思いを捨てられず、武装解除に応じない人々が残っている。

オーストリア「ネオ・ナチ」騒ぎの裏にあるもの
 【2000年2月7日】 オーストリアで「ネオナチ」が政権をとった?!・・・とは、必ずしも言えないようだ。問題となっている自由党のハイダー党首について、ナチス支持者潰しの権威も「民主主義の脅威ではない」と述べている。むしろ、ハイダー氏がことさらネオナチ扱いされる裏に、統合されつつあるヨーロッパでの、左右両派の政治的なせめぎ合いがあるようだ。

ダイヤモンドが煽るアフリカの殺戮
 【2000年2月3日】 世界のダイヤモンド取引の7割を占めている「独占企業」デビアス社は、アメリカでは独占禁止法違反で「罪人」扱いされている。そんなデビアスに昨年末、アメリカ国務省幹部が接近した。用件は「アフリカの内戦を終わらせてほしい」ということだった・・・

モルッカ諸島:宗教戦争という名の利権争い
 【2000年1月31日】 インドネシアのモルッカ諸島で昨年初めから続いている、キリスト教徒とイスラム教徒の間で殺し合いの遠因は、50年以上前、まだこの地がオランダの植民地だったころ、オランダ当局がキリスト教徒を重用する政策を行っていたことにある。2つのコミュニティは、インドネシア独立後の50年間、政治的に利権を争うライバルだった。

世界こぼれ話(1月下旬版)
 【2000年1月27日】 私が日々、世界のニュースサイトを見ていて驚いたニュースを短信にして、4本お送りします。
  ・ビデオを3倍速で回し「不可抗力」を演出していたNATO
  ・米軍の新兵器:弾が曲がって飛ぶ銃
  ・飢餓と食べすぎが12億人ずついる地球
  ・近親婚の伝統を改善したいサウジアラビア

暗闘うず巻くチベット活仏の亡命
 【2000年1月24日】 チベットの活仏、カルマパラマが、中国統治下のチベットから、インド北部の亡命チベット人地域へと移ってきたことは、中国の圧政に嫌気がさしたことによる「亡命」と報じられている。だがその経緯を仔細に検証すると、むしろ「亡命」と見せかけて、ダライラマを頂点とするインドの亡命チベット人社会での権力奪取を目指す勢力があるかもしれない、と思えてくる。

チェチェン戦争が育んだプチンの権力
 【2000年1月21日】 ロシア軍のチェチェン攻撃は、共同住宅に対する連続爆破テロがきっかけだったが、チェチェン人の犯行とされているこの事件、実はロシア当局が関与している可能性がある。戦争を起こすことで自らの権力を広げてきたと考えられるプチン大統領だが、欧米諸国の評価は高い。エリツィン前大統領と同様、欧米と協調する政策を貫きそうだからだ。

チェチェンをめぐる絶望の三角関係
 【2000年1月17日】 ペレストロイカによってチェチェンでも宗教信仰が自由になると、サウジアラビアの富豪などが、モスクを建ててくれたり、メッカ巡礼に資金援助をしてくれたりした。だがそれは「ひも付き」だった。サウジの厳格なイスラム信仰と原理主義の考え方が、伝統的な信仰を押しのけ、ロシアとの武装闘争の泥沼へと陥らせた。

真の囚人:負けないチェチェン人
 【2000年1月13日】 スターリン時代のソ連、多くの民族が強制移住の苦難の中で、服従の精神に落ち込んでいった時、唯一非服従の精神を貫いたのがチェチェン人だった。作家ソルジェニーツィンが「正真正銘の囚人」と呼んだ彼らが、強圧的なロシアとの200年にわたる戦いに屈しなかった背景には、信仰と血縁の関係が密接につながっている神秘主義イスラム教の存在があった。現在のロシア軍など、実は彼らにとって、大した敵ではない。

パナマ運河:興亡の物語
 【2000年1月6日】 この世紀末、香港やマカオが中国に返還される半面、パナマ運河はアメリカの手を離れ、代わりに中国や台湾がパナマに影響力を広げようとしている。アヘン戦争やペリーの浦賀来航から150年経って、ようやくアジアが太平洋で欧米勢と並ぶ存在になったと読み解ける。それとも、アメリカが不要になった航路の「お下がり」をアジア勢がもらい受ける、ということなのだろうか。

ミレニアムテロ:アメリカが育てたイスラム過激派
 【1999年12月29日】 「アフガン帰り」たちの世直し運動は弾圧されたが、彼らはアフガニスタンで培った軍事技術を持ち、爆弾を作ったり政府要人を銃撃するのは、お手のものだった。中東の反政府・反米運動はテロリズムと結びつき「イスラム原理主義運動」になった。 アフガン帰りを訓練したアメリカは結局、自分たちを狙うテロリストを養成したことになる。

マカオ返還の裏で進む暴力団との戦い
 【1999年12月21日】 マカオ経済を支えるカジノの裏には、暴力団組織がうごめいている。中国への返還を控え、マカオのカジノ利権を求める暴力団が、香港や台湾、中国大陸から流入し、熾烈な抗争が展開された。当局が取り締まりに入ると、当局対暴力団の死闘に展開した。

マカオの500年をふりかえる
 【1999年12月20日】 ポルトガルから中国に返還されたマカオの最盛期は、日本と中国との間の貿易が富の源泉だったが、それは日本の鎖国によって失われた。ポルトガルは、イギリスのような植民地経営の戦略を持たず、行き当たりばったりで、最後の30年間は中国政府の言いなりだった。だがイギリス人のような人種差別をしないという寛容さもあった。

解体するインドネシア:海洋イスラム国アチェの戦い
 【1999年12月16日】 インドネシアの最も西にあるアチェ地方は、欧州・中東と東アジアを結ぶ「海のシルクロード」に位置しており、昔から商業都市国家として栄えていた。彼らはインドネシアの中心であるジャワ島とは違う文化を持ち、それがアチェ独立要求の背景にある。アチェ住民のほとんどは独立を支持するが、ジャワ宮廷の陰謀の伝統を受け継ぐインドネシア政府の策に翻弄され、指導者間の対立も起きている。

騒がしいお客様
 【鳴海諒一・1999年12月15日】 「いやあ感動した。騒いでいても全然注意しないで、我慢して帰るのを待ってるんだ。それで、うるさい連中が帰った後に、ちゃんと謝って回るんだ。やっぱり一流ホテルは違うよなあ」・・・どこが良いんだ、そんなのが。一部の客が騒いでいたら、注意して他のお客様を守るのが、従業員の使命ではないか。騒がしい客を静かにさせてこそ、一流といえる。僕はそう思った。

政治権力はなぜ麻薬戦争で勝利できないか
 【神保隆見・1999年12月14日】 アメリカが「麻薬カルテルを壊滅する」と何回繰り返しても、何の成果も挙がらず、事態は悪化している。国際麻薬カルテルはもともと、闇資金を求める政府や情報機関が、目立たぬ組織として生み出したもので、その資金を謀略に当てていた。日本も戦前、イラン産アヘンの密輸取引で、三井物産と三菱商事とが激しい争奪戦を展開した。

世界を支配するNGOネットワーク
 【1999年12月13日】 NGOのネットワークが国際機関に入り込み始めたのは、1992年のブラジル環境サミットで、94年には世界銀行の総会に乱入し、世銀の運営にも関わり出した。NGOはインターネットの普及とともに強い組織になり、先日のシアトルでの反対運動を通じてWTOにも入り込もうとしたが、結果はWTOの体制自体を壊すことになった。

大英博物館が空っぽになる日
 【1999年12月9日】 今から200年前、イギリスのトルコ大使がアテネの神殿遺跡から持ち去り、大英博物館に展示されている大理石の彫刻群は、いずれギリシャに返還せざるを得なくなるかも知れない。返還要請は強まるばかりで、クリントン大統領までがギリシャの肩を持った。しかし大英博物館が返したら、次はアメリカの美術館も、所蔵品をエジプトなどに返さねばならなくなるだろう。

シアトルWTO会議をめぐる奇妙な騒乱
 【1999年12月6日】 冷戦が終わり、自陣営に各国を引き止める必要がなくなった時、アメリカは世界支配を、国際機関を通じた間接的な方法に切り替えた。米政府の通商代表部がWTOを牛耳り、財務省がIMFを支配する構造が作られたが、この体制は、IMFが一昨年からの世界金融危機への対応を誤り、WTOがシアトル閣僚会議で失敗したことによって、うまくいかないことが見えてきた。

アラブ世界の女性解放は一進一退
 【1999年12月2日】 ペルシャ湾岸のアラブ諸国では、女性に参政権がない。クウェートでは、女性に選挙権を与えると国王が宣言したが、議会が否決してしまった。経済面では、仕事を持つ女性が増え、地位向上は進み始めたが、政治面では、1960年代に中東戦争が始まり、女性軽視のイスラム主義勢力が中東全域で台頭して以来の停滞が、まだ続いている。

生まれながらの不幸を抱えた国、パキスタン
 【1999年11月29日】 パキスタンでは、前首相もその前も、国有銀行から融資させて返さず、儲かる事業を一族に発注し、極度の腐敗が続いてきた。その背景には、国の基礎がないままにイギリスからの独立し、その後はインドとの対立やアフガニスタンの混乱などの影響を受け、安定した内政を築けなかった苦難の歴史がある。10月のクーデターは腐敗一掃を狙ったものだが、前途は多難だ。

変わりゆく大英帝国(2) カナダ
 【1999年11月25日】 カナダもオーストラリア同様、エリザベス女王を元首にいただくが、オーストラリアとは対照的に、王制を続けることを国家のアイデンティティ作りに活用している。中国系移民1世の女性を総督に選んだことがその象徴だ。背景には、すぐ隣に大統領制の超大国アメリカの存在があり、それとは違う体制をとる必要性がありそうだ。

変わりゆく大英帝国(1) オーストラリア
 【1999年11月22日】 イギリスの王室は、今年6月のエドワード王子の結婚式をなるべく地味に行うなど、自らの存在を小さくしていこうとしている。それとは対照的だったのが11月6日、オーストラリアで行われた国民投票で、今後も国の元首をイギリス女王にやっていただきたい、という結果が出たことだった。国民の大半が共和国化を支持しているオーストラリアで、世論と反対の投票結果が出た背景には、首相ら政界の策略があった。

天皇と国民との、新たなる契約を
 【内田研四郎・1999年11月19日】 戦後の昭和は、日本国家の実力からみて、異常にテンションの高い時代だった。その昭和が終わり、新たな契約が結ばれてない無秩序な時代、それが「平成」であり、それを理解すれば。昨今の不況について、今の政権や、まして米国に文句をつけるのは、お門違いであることがわかる。

ディズニーランドは香港を救うか
 【1999年11月18日】 中国への返還後、アイデンティティの転換を迫られている香港が、国際都市の新たな象徴として誘致したのが、ディズニーランドだった。行政府が建設費の9割を負担し、直営とする力の入れようだ。入場者の7割以上は中国大陸からと予測されるが、中国ではすでに無数のテーマパークが破綻している上、日本の自治体系パークの失敗を考えると、役人が経営するエンターテイメントが面白いのかという疑問も湧く。

終わらない遺伝子組み換え食品の安全性論議
 【1999年11月12日】 遺伝子組み換え食品の問題がややこしいのは「遺伝子組み換えは危険ではない」とする研究が推進派企業のヒモ付きだったりする一方で、「危険だ」とする研究の実験手法に欠陥があるとされたりする点だ。冷戦後、科学者や技術者、官僚や新聞記者など、専門家といわれる人々全般に対する「市民」からの信頼性が落ちている流れの中に、遺伝子組み換えの問題もある。大切なことは、科学的に難しそうな問題でも、なるべく自分で判断しようとする態度だろう。

パレスチナ・もう一つの2000年問題
 【1999年11月5日】 パレスチナ(イスラエル)では、コンピューター問題ではない「2000年問題」が起きている。キリスト教にとって来年が、キリスト生誕2000年目であることから、例年の2倍以上の巡礼客がパレスチナを訪れると予測される。その準備を急ぐキリスト教勢力と、それに反発するイスラム教勢力、そして2000年祭を政治的に利用したいイスラエルの思惑がせめぎ合い、対立を生んでいる。

遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(2)
 【1999年11月1日】 遺伝子組み換え技術は、医薬品製造でも定着したが、反対運動はあまり起きていない。その理由は、遺伝子組み換えによって、薬品の価格が下がったり、開発期間が大幅に短縮され、薬の完成を待ち望む患者を助けられるなど、消費者(患者)にとってプラスがあるからだろう。農産物の場合、遺伝子組み換えの利点は、農業生産者に対するものが主体で、消費者にとって嬉しいことがないので、反対運動に結びつきやすいのではないか。

遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(1)
 【1999年10月28日】 日本が輸入する穀物のうち、大豆の8割、トウモロコシの9割がアメリカからだ。アメリカでは1996年から、遺伝子組み換え技術を使った種子が発売され、今では栽培されている大豆の55%、トウモロコシの40%が、遺伝子組み換え種子を使っている。そのため、日本が遺伝子組み換え品を拒否し始めたことは、アメリカの農業に打撃を与えずにはおかない状態だ。

「心の統一」が進まない東西ドイツ
 【1999年10月27日】 ドイツ統一から10年近くたったが、旧東ドイツの人々の、旧西ドイツの人々に対する心情は「統一」に程遠い。東ドイツには、資本主義社会に適応できない自分たちが、西ドイツの人から見下されていると感じる人が多く、西から東に引っ越した人が、周囲から仲間はずれにされるケースも起きている。東ドイツでユダヤ人やトルコ人を排斥する運動が盛んになったのも、この劣等感の裏返しといえる。

バンコク・ミャンマー大使館占拠事件の奇怪
 【1999年10月23日】 10月1日、武装ゲリラがバンコクのミャンマー大使館を襲撃し、人質をとって24時間立てこもった事件は、世界の他の大使館占拠事件とは異質で奇怪な点が多い。襲撃犯と一部の人質が「仲間」のように別れを惜しんだり、最初は対応が混乱したタイ政府が、翌日には犯人との交渉を簡単にまとめてしまったり。事件は、さまざまな裏読みを誘発している。

欧州に密入国移民を送り出す「闇のシルクロード」
 【1999年10月19日】 イランやトルコから、バルカン半島を通ってヨーロッパに至る「シルクロード」は、オモテの旅行者や貿易商品だけでなく、麻薬や密入国移民など「ウラ」の商品や人々にも使われている。そのルートには海をわたる「青い道」と、山や森を越える「緑の道」があるのだが、ヨーロッパの当局が、国境管理を厳しくしても、侵入を防ぎ切れない状態だ。

聖戦の泥沼に沈みゆくパキスタン
 【1999年10月14日】 パキスタンで10月13日に起きたクーデターは、パキスタンが「アフガン化」していく第一歩になるかもしれない。冷戦時代を通じてアメリカ寄りの政権が続いたが、その後、イスラム主義組織「タリバン」を使って隣国アフガニスタンの内戦に介入したことが逆に、反米・親イスラムの勢力をパキスタンの軍や政治組織の中に広げてしまった。

アメリカ・たばこ訴訟の裏側
 【1999年10月6日】 アメリカで、議会や政府に圧力をかけるロビー団体として最強なのが、たばこメーカーと拳銃メーカーである。クリントン大統領は在任期間中、この2つの圧力団体を弱体化させ、政界の「近代化」を目指したが、うまくいっていない。最後の切り札として、司法省が大手たばこメーカー5社に対して起こしたのが、史上最高額の裁判だった。大統領の任期はあと1年ほどなので、訴訟を起こすなら、今しかなかった。

イスラム共和国の表と裏(2)ひそやかな自由化
 【1999年9月27日】 テヘラン北部の高級住宅街では、イスラムの教えも、玄関から中には入ってこない。そこでは、自宅に友人たちを招いて開くパーティが盛んだが、女性たちが玄関でチャドルを脱ぐと、下には水着のような大胆な格好をしている人が多い。酒を飲み、タバコを吸い、ダンスに興じ、宴たけなわになるとボーイフレンドに肩を抱いてもらう。

イスラム共和国の表と裏(1)乗っ取られた革命
 【1999年9月21日】 1979年に起きたイランのイスラム革命とは、イスラム教に基づいて、アメリカなど欧米型の社会よりも、人々が幸せになれる社会を作るためのものだった。少なくとも、革命が始まった当初は、そう思われていた。だが、その後が問題だった。「革命が、ホメイニ師らイスラム聖職者たちによって乗っ取られてしまったことが、問題の始まりだった」と知識人たちは言う。

台湾の客家に学ぶ
 【1999年9月15日】 客家は、長い中国の歴史の中で、よそもの扱いされた経緯が長く、少数派として不利益を蒙りやすい立場にあった。そのため古くから、子供たちに知的資産をつけて生きる力をつけさせようと、教育熱心な親が多かったといわれる。そうした伝統は、葉一族の中にも生かされていた。

驚きの多言語社会・台湾
 【1999年9月15日】 台湾の客家、羅慶飛さんの一族には、客家、ビン南人、外省人、そして先住民の人もいて、母語が違うので、家族や親戚の中ですら「国連のような」多言語社会になっている。そして羅慶飛さん夫妻の会話の中心は客家語だが、その中によく日本語が混じる。息子の羅吉昌さんの奥さんはビン南人、娘の羅瑞媛さんの旦那さんは外省人だった。

ロシアとアメリカ:「冷戦後」の終わり
 【1999年9月8日】 ロシアでは共産党独裁が終わっても、政治家や主要財界人の多くは、かつての共産党幹部だった。ロシアは社会主義時代から、ボスになる人が絶対的な権力を持つ家父長型の社会で、上に立つ人の政治思想が共産主義であろうが、資本主義であろうが、大した違いはなかった。ロシア社会の仕組みは、冷戦後も欧米と大きく違うままだったが、そこに資金を投入すれば欧米型社会になると思ったところから、冷戦後の米ロの茶番劇が始まった。

台湾人のアイデンティティ
 【1999年8月30日】 台湾では、李登輝総統の時代になってから、政治・社会の自由化が急速に進んだ。だがそれは、国民党独裁時代に弾圧されながら民主化を推進した、民主進歩党のオリジナルメンバーたちの意図を超える速さでもあった。その表れの一つが、台湾語より北京語の方がカッコ良いと思う若者や、本省人なのに台湾語が話せない若者が増えたことだった。

台湾の日本ブーム
 【1999年8月23日】 日本にいると、アメリカ文化の方が進んでいると思いがちなだけに、日本の音楽が台湾で「洋物」音楽の世界をアメリカと二分しているという現状は意外だった。しかも最近では、アメリカより日本の音楽の人気が高いという。

財閥解体で日本を超えたい韓国
 【1999年8月16日】 5大財閥を頂点とする韓国経済の苦境は、一昨年の金融危機によって起きたが、これを国家的な大改革に利用したのが、金大中大統領だ。19世紀末、西欧化に遅れをとり、日本の植民地にされた韓国だが、それから100年、アジアを再び覆う変革の機運の中で、今回は動きが鈍い日本より早く、世界標準の経済システムを導入し、100年の苦渋を晴らそうというものだ。

自立したい台湾、追いすがる中国
 【1999年8月9日】 台湾は中国から攻撃されるおそれが強いのに、軍隊を縮小している。そんな中、台湾の李登輝総統は「今後は、中国と台湾が特殊な国と国との関係であることを中国が認めない限り、中国との交渉は行わない」と発言した。中国は武力で台湾を威嚇する姿勢をみせたが、李登輝発言の背景をみていくと、実際に中国が台湾を武力侵攻するとは考えにくい。

「水は命」を思い知る中東の水戦争
 【1999年8月2日】 中東の地中海側では今年、60年ぶりの水不足に襲われている。こんな時には「水の確保こそ安全保障」という現実を痛感する事態となる。中東戦争の勝者であるイスラエル人は、渇水期でも何とか平常通りの生活を送れているが、「負け組」であるパレスチナ人とヨルダン人は、悲惨な目にあっている。

南米発、怪しげな世界通貨統合
 【1999年7月26日】 ブラジル通貨危機で悪影響を受けたアルゼンチンで、自国通貨を廃止して米ドルを通貨にする構想が浮上した。アメリカ側でも歓迎する動きがあり、これを機に中南米の通貨全体をドル化しようというアイデアもある。だがアメリカ当局は、この構想には消極的で、それには暗い理由がありそうだ。

負けないアジア:マハティール首相
 【1999年7月21日】 マレーシアの首都近郊にオープンしたハイテク産業都市「サイバージャヤ」は、マハティール首相にとって、世界に対する一つの「勝利宣言」だった。マハティールは昨年9月、IMFの緊縮政策を突っぱね、正反対の政策を打ち出した。そのとき、欧米の金融関係者やマスコミは「マレーシア経済は破滅する」と予測したが、それは見事に外れた。

選挙後も続くインドネシア政治の不穏
 【1999年7月15日】 インドネシアの国会選挙は、45年ぶりの民主的な選挙として、期待を集めたが、投票から1ヶ月たっても開票作業が終わらない。勝てないと思われていた与党ゴルカルは、その間に連立工作を進め、大統領になると予想されていたメガワティ女史を圧倒し始めている。スハルト時代の独裁的な政治を支えたゴルカルは人々に嫌われており、再び暴動が起きる可能性もある。

バルカン半島を破滅に導くアメリカの誤算
 【1999年7月12日】 ユーゴ紛争を解決したいアメリカが、一時は「テロリスト」と呼んでいたKLA(コソボ解放軍)に接近したとき、「自治を与えるから独立を目指すな」という条件を出した。KLAの若い司令官は、条件を飲んだが、空爆が終わって国連軍が駐留してすぐ、KLAは独立を求めて態度を硬化させ始めた。コソボの独立は、バルカン半島全体に紛争を広げることになりかねない。

暗い過去からの脱皮を目指すドイツ
 【1999年7月5日】 西東の統一から10年、ドイツは今年、50年ぶりに首都をベルリンに戻す作業に追われている。冷戦時代の暗いイメージを脱し、ヨーロッパの中心になることを目指すベルリンだが、首都移転の背景には、ナチス時代の国家的犯罪に対する贖罪の時代を終わりにしたいという、ドイツの人々の意志がうかがえる。

世界中で広がる貧富の格差
 【1999年6月28日】 世界経済は、一昨年以来の国際金融危機を克服しつつあるといわれるが、危機が一段落して見えてきたのは、大金持ちがますます金持ちになっている一方、貧乏人がますます貧しくなっているという現実だった。アメリカ流の社会システムが世界中に広がった以上、当然のことともいえるのだが、あまりに赤裸々な結果である。

エイズでアフリカ南部が存亡の危機
 【1999年6月23日】 アフリカ南部のジンバブエなどでは、成人の4人に1人が、エイズを発症させるウイルスHIVに感染している。先進国で感染が抑えられていった最近の数年間で、アフリカでは逆に感染が急拡大した。その背景には、経済や政治の自由化で、人々の行動範囲が広がったことがあるのではないか。

スラム街出現の裏にうごめく人々
 【1999年6月18日】 ブラジル南部の町、クリチバ市郊外のスラム街「カンポ・ドス・ペラデイロス」は昨年10月、一晩で出現したものだった。スラム街とは、貧しい人々がだんだんと集まってきて形成されるものではなかったのか? 疑問を解くために現地を訪れると、スラム出現の背景には、一攫千金を目指すブローカーや交渉屋、そして政治家の影があった。