ケンシロウを慕う少女の意外な正体

『北斗の拳』の「リン」は、物語の最初から最後まで登場し、なおかつ少女から大人に成長する特別なキャラクターです。熱き漢(おとこ)たちの戦いの中でしばしば脇役と思われがちなリンですが、実は天帝の血族であり、北斗神拳の伝承者にとって特別な存在だといえます。

「世に平和をもたらす」といわれる天帝の役割には謎が多いなか、作中では「北斗七星は天帝の戦車といわれ、天帝の一戦士に過ぎない!」「北斗神拳も元斗皇拳も本来は天帝守護の拳!!」などと語られています。ケンシロウがリンを守っていたのは運命だったのかもしれません。そのように考えうる理由を見ていきましょう。

●幽閉された天帝ルイの双子の姉妹

 リンの出生の秘密が明らかになったのはラオウの死後、何年も経ってからのことです。拳王軍が崩壊してからは、ジャコウによる天帝軍が荒野を支配していました。かつてラオウに恐怖を刻み込まれたジャコウは、北斗の恐怖から逃れるため天帝を地下に幽閉し、元斗皇拳の伝承者ファルコを操って北斗の血統を根絶やしにしようと企みます。天帝を人質に取られたファルコは、一族に2000年続く天帝守護の運命に従って、意にそぐわぬ非道な行為に手を染めざるをえませんでした。

 高潔なファルコがそこまで大事にする天帝とはいったい何者なのか、当時の読者は疑問に感じたでしょう。そしてついに、地下に幽閉されていた天帝ルイが姿を見せたとき、誰もが驚愕しました。天帝ルイがリンと同じ顔をしていたからです。ルイとリンは双子の姉妹だったのです。

 リンが自分の出生について知らなかったのは、生まれてまもなくファルコによって密かに里子へ出されたためです。天帝の双子が生まれた場合「双星は天にとって不吉をもたらす」とされ、どちらかを殺さなくてはならない掟がありました。若きファルコは赤子のリンを手にかけることができず、自らの叔父夫婦に託したのです。

 その後、叔父夫婦はリンに出生の秘密を明かす前に何らかの理由で亡くなったと思われます。こうして何も知らないままリンは孤児になり、牢屋でケンシロウと出会いました。

地下に幽閉された天帝ルイはリンと瓜二つ。暗闇の中でルイは視力を失っていた。画像は『北斗の拳』第156話「ふたりの天帝の巻」より。

全ては乱世を平定する天帝の計画だった!?

 リンの出生の秘密を前提としてケンシロウの戦いを見直すと、全ては「無自覚な天帝」の意思が、混乱した時代に救世主を遣わせたかのように思えます。

 ラオウとの戦いが終わった後、余命わずかのユリアと共に去ったケンシロウには、特に戦う理由がありませんでした。ラオウのように乱世へ覇を唱えようという野望もなく、最強になりたいというモチベーションもありません。ユリアと暮らしている間も世界は争いに満ちていたはずですが、ケンシロウが隠棲していたことから明らかです。

 そんなケンシロウが再び歴史の表舞台に姿を表したのは、リンに亡きユリアのネックレスを渡すためでした。もしもリンがバットと共に反乱軍を組織しておらず、どこか別の場所で平穏に暮らしていたのなら、ケンシロウは積極的に天帝軍と敵対しなかったかもしれません。

 またリンが修羅の国に連れ去られていなければ、ケンシロウが海を渡ってカイオウと戦うこともなかったはずです。天帝が誘拐されたからこそ、守護者である北斗神拳伝承者が修羅の国を訪れ、そしてカイオウの北斗宗家への怨念も浄化されたといえます。これらの因果関係だけに着目すれば、リンがケンシロウを戦いの運命に導いたと考えることは十分可能でしょう。

 もちろんリン本人に、ケンシロウを救世主にしようとする意図は全くないはずですから、きっとリンに流れる天帝の血の導きです。歴代の天帝はリンとケンシロウのような関係性で時代の運命に介入し、世に平穏をもたらしてきたのかもしれません。

●全ては2000年前から続く太極星を中心とした拳士たちの神話

 世紀末救世主伝説は、言葉を失った幼き天帝が、脱水症状で行き倒れて牢屋に放り込まれた守護者(北斗神拳伝承者)に水を与えて復活させた時に始まりました。この出会いは必然であり、全ては大いなる天の配剤だったと考えると、『北斗の拳』の見方が変わるかもしれません。

『北斗の拳』は多面的な作品です。熱き漢たちの戦いの物語の裏には、太極星である天帝を中心とした、北斗・南斗・元斗の拳士たちによって構成される、壮大なパンテオンとしての一面が隠されています。その魅力は1988年の連載終了から35年を経ても色褪せることはありません。紛れもなくマンガ史に残る大傑作だといえるでしょう。