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考察その17 - ハラワタの中身 その2 - [考察]

(2010年11月7日のmixi日記 より)




【ハラワタの中身 その2】



今回はヤスが金蔵の遺言により金蔵の秘密を知ったと考えた根拠について。

最初に言っておくと、はっきりと書かれている箇所はありません。
ですが、私がそう読み取った伏線を記したいと思います。










【前提】
ヤス=紗音と考えています。


【年表】

■1984年10月(アニメ第6話より)
絵羽一家が六軒島に事業の金の無心にやってくる。
紗音が譲治にかばわれる。

■1984年11月29日(EP7より)
ヤスが碑文の謎を解き、黄金の間に至る。
自分の両親が金蔵と九羽鳥庵ベアトであったことを知る。
金蔵死亡。

■1984年10月~1985年12月の間
紗音がベアトリーチェに初めて会う。
紗音と嘉音が黄金蝶のブローチを手に入れる。

■1985年3月頃(EP6より)
1986年10月の19ヶ月前。

そして19ヶ月前は
それは、この物語を生み出すのに、かかった月日の数。(EP6より)
※この物語=「メッセージボトルの物語」、月日=「ヶ月」と解釈

■1985年10月
1985年親族会議
戦人は参加せず。

■1985年12月(アニメ第6話より)
紗音が鏡を割る

■1986年10月4日・5日
最後の親族会議




【ポイント その1】

「…見つけたのは、黄金だけだったのか?」
「はい、その時は……。積み上げられた黄金に、目が眩まぬわけもありませんでした…。」


この会話。
その時「ではない時」に、黄金「以外」を「見つけた」と読むことができないでしょうか?

ヤスがこの部屋に入ったのは1984年11月29日が初めてですから、
その時以外というのは1984年11月30日~1986年10月4日まで。

また、黄金以外でこの部屋にあったとわかっているのは爆弾の起爆装置となっている時計ですが、
時計に仕掛けがあることは「見つける」というより「知らされ」なければわからないはずです。
(「見つける」ためには作動させないといけないと思いますし)
ですので、ヤスは時計ではないものを「見つけた」のだと私は読みました。
そして、それが金蔵の遺言だったのではないかと思っています。


【ポイント その2】

黄金蝶のブローチとは?

黄金蝶のブローチは家具の恋を叶える魔法のブローチ。
家具は人間ではないから、恋をする資格がない。


では、恋を叶えるその魔法の正体とは一体なんだったのでしょうか?


ものすごくひどい言い方をしてしまうと、
人間ではないものを人間にする具体的な方法はないと私は思います。

具体的な方法がないならば、考えられる方法は2つ。
「家具である自分を受け止め、恋を諦めないこと」または「想像の世界で恋を成就させること」


紗音が選んだのは後者であったと思います。
それは決して彼女が臆病だったからではなく、前者を選ぶのがあまりに辛すぎたためです。
(そのあたりは後の考察で書こうと思っています)




紗音の恋を成就させることのできる想像の世界。
それが、メッセージボトルの物語の中に含まれています。

そして、黄金蝶のブローチとは、
彼女にその物語を書かせるきっかけとなったものであり、
「紗音に夢を見ることを許した」
ものだったのではないだろうかと思うのです。



紗音は黄金蝶のブローチなどなくても魔法が使えます。
しかし、本物の恋の前ではその魔法も限界を迎え、
現実とは違う別の世界を作ることが必要になったのではないでしょうか。



そして、私は
黄金蝶のブローチ=「金蔵の遺言」
だと考えています。



実父の自らの秘密を告白する手記を読んだ時、
彼女自らの想いと願いを残す決意が芽生え始めたのではないだろうか、と。


上の年表にあてはめると、
・黄金蝶のブローチ、つまり、金蔵の手記を見つけたのが1984年の11月29日から1985年の3月までの間
・1985年3月からボトルメールの執筆開始
・紗音が鏡を割ったのが1985年の12月なので
 恋の願いが物語に散りばめられたのは1985年の12月以降。
・1985年の3月から1985年12月までの間は
 金蔵の遺言(家族に対する想い)の内容を含めたミステリーの骨組みの作成をしていた。


ちなみに、金蔵の遺言に家族への想いが綴られていたかどうかは定かではありません。
ただ、EP7で語られるクレルの物語からは紗音の右代宮家の人間に対しての愛情はあまり読み取れなかった気がします。
(本当に個人的な意見です。すみません。)


考察その3
「金蔵遺言説に至った理由について その2」
http://usarabi-umineko.blog.so-net.ne.jp/2010-04-23_3
で書きましたが、
私がEP1~3を読んだ時に最も強く感じたものが家族への愛でしたし、
今までの考察でも、この物語は金蔵と紗音の想いが入り混じっていると書いてきましたので、
その部分は消さずに一つの考察として出させていただきます。









以下、私見です。


物を書くということは、
自分の形にしたい想いが言葉になって残るということです。
その読者には、それを受け止め、想像し、解釈する権利があります。
筆者と読者の思想に差異があるにせよ、
読者がいることでその文章に広がりが生まれます。


ある意味、究極の「無限」です。


それでも、
文章の核は筆者の想いであり、
その想いを理解してくれる読者が現れるのを
筆者は待っているに違いないのです。


無限の中にある真実を見つけてくれる人がいたのなら
それは「奇跡」とも呼べるのかもしれないなぁと
なんとなく思ったりもしました。
















推理の核となっている部分を曖昧にして書いてしまったので
かなりわかりづらい文章となってしまったことをお許しください。

予定では、一番最後にその部分の考察を書こうと思っていたのですが、
ちょっと考え直してみようかと思います。。



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