映画『ヴェノム』の筋書きは“破綻”しているが、カルト作品になる可能性を秘めている:『WIRED』US版レヴュー

マーベル・コミック・シリーズの映画『ヴェノム』は、わざとらしいアメコミ映画の復活を狙ったかのような、はちゃめちゃなストーリーが展開される。こうした点について『WIRED』US版の映画担当エディターは、「まるで1997年から現代にタイムトラヴェルしたばかりの14歳児向けに編集したような作品に仕上がっている」と評する。これはいったいどんな意味なのか? 『WIRED』US版による映画レヴュー。
映画『ヴェノム』の筋書きは“破綻”しているが、カルト作品になる可能性を秘めている:『WIRED』US版レヴュー
映画『ヴェノム』は、過ぎ去った時代の、いささか滑稽なほどわざとらしいアメコミ映画の復活を狙ったようだ。だが最終的には、90年代のアメコミ映画『スポーン』の各シーンに最新CGIを駆使して、1997年から現代にタイムトラヴェルしたばかりの14歳児向けに編集したような作品に仕上がっている。PHOTOGRAPH COURTESY OF COLUMBIA PICTURES/COURTESY EVERETT CO/EVERETT COLLECTION/AMANAIMAGES

映画『ヴェノム』のシーンをいくつか紹介しよう。カールトン・ドレイク役を演じるリズ・アーメッドは、超悪者の豊かな比喩すべてを一度に具現しながら、こうつぶやく。「神はわれわれを見捨てた……わたしは見捨てない」

そしてエディ・ブロック役のトム・ハーディはレストランにある水槽に飛び込み、生のロブスターを食べる。端役キャラが、「故郷の惑星では、わたしは負け組だった」と言う。地球外生命体が、アカデミー賞にノミネートされたことがある女優ミシェル・ウィリアムズ(アン・ウェイング役)に変身する。

こうしたシーンは、一部に熱狂的に愛されるカルトムーヴィーになるか、完全な失敗作になるかの分かれ目となるものだ。『ヴェノム』は、そのどちらであるとも言える。意図した通りの作品になったのだとすれば、だ。

シンビオートと融合させて人類を救う?

本作は、ヴェノムというアンチヒーローが登場するマーベル・コミック・シリーズの映画版だ。ヴェノムは現在、ソニー・ピクチャーズの知的財産であるため、本作はマーベル自体の制作ではなく、マーベルと「提携して」制作されている(同じくマーベル・コミックのキャラクターであるスパイダーマンの単体作品と同様だ)。

調査報道を行う記者だったエディ・ブロックが、地球外生命体「シンビオート」に寄生され、「スーパーな何か」に生まれ変わるという内容が実写で描かれる。シンビオートはどうやって地球にたどり着いたのか? マッドサイエンティストのカールトン・ドレイクのおかげで、地球に不時着したのだ。

ドレイクは、人類にシンビオートを融合させて宇宙に送ることで人類を救うという、かなり馬鹿げた考えを抱いている(少なくとも、わたしは馬鹿げた考えだと思う。アメコミ映画の大半の悪役は、動機についてあまりうまく描かれていない)。

ジェニー・スレイト(いい女優なのにあまり出番がないのが気の毒だ)が演じる内部告発者から得た情報を元に、エディはドレイクの研究所を訪れる。シンビオートはそのときエディに寄生し、自分とエディは相性がよいと思いこむ。その後、シンビオートを取り戻そうと必死なドレイクとその手下をかわすために駆けずり回りながら、エディは新しく「寄生された」生物を理解しようとする。

90年代の14歳児向けに編集したような作品

クールな映画のように聞こえるだろうか? ごちゃごちゃしている? VHS時代のゴミ箱から出てきた過去の遺物のよう? 想像しうるあらゆるものの下手な寓話みたい? そうしたことすべてが当てはまるし、どれも当てはまらないとも言える。

『ヴェノム』が作品として破綻しているのは、監督の指示が悪いせいでも、俳優の演技が下手なせいでもない。ただ、すべてがチグハグなように思われる(とはいえ、破綻の理由は脚本かもしれない。「ダーク」なシーンと、意図しない愉快さがあるシーンが、何の目的もなく入り交じるのだ)。

『ゾンビランド』で知られるルーベン・フライシャー監督は、過ぎ去った時代の、いささか滑稽なほどわざとらしいアメコミ映画の復活を狙ったようである。だが最終的には、90年代のアメコミ映画『スポーン』の各シーンに最新CGIを駆使して、1997年から現代にタイムトラヴェルしたばかりの14歳児向けに編集したような作品に仕上がっている。

それは、必ずしも悪いことではない。『ヴェノム』には、もう少しで「何これ! 爆笑!」と思えそうなシーンが幾度かある。睡眠不足でハイな状態で夜中に映画を見に行く観客の前で上映されれば、おそらくヒットするだろう。たとえ間違った理由からであろうと、大笑いできるのだから。しかし、本作がシリアスな作品を目指そうとすると、「この作品ならアメコミ映画というジャンル全体にジャブを見舞えるかもしれない」という期待は、空中分解してしまうだろう。

素晴らしい作品になり得たが……

残念なのは、本作が素晴らしい作品になり得たからだ。ハーディはシンビオートに対して、空想上の友達をつくったばかりだが、それがバカげたことだと十分承知している子どものように話しかける。ゲーム&エンタテインメントサイト「Polygon」に寄稿したマット・パッチースは、ハーディはこの映画をコメディー作品だと理解し、それに応じた対応をしている唯一の人物だと指摘している。

「この映画のハイライトは、ハーディがこのスパイダーマンのスピンオフ作品を、90年代半ばのジム・キャリーを起用してB級ホラー映画『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』をリメイクした作品のように扱っているシーンだ。毎年、原作に忠実な独立した映画が約束されていた90年代のアメコミ読者には受けないかもしれない。しかし、『ヴェノム』に懐疑的な者たちに、もっと多くを求めさせるには十分だ」

この指摘は正しい。もし『ヴェノム』が、シンプルなスラップスティック(どたばたコメディ)のジョーク作品であり、「ダークなアメコミ映画」の過剰なシリアスさの解毒剤になっていたら、傑作になっていただろう。本作全体が前述したロブスターのシーンのようであれば、ハーディが2人の登場人物を見事に演じ分けたクライムサスペンス映画『レジェンド 狂気の美学』とともに、何度も観たい作品になっただろう(『レジェンド 狂気の美学』で1人2役で双子を演じているのは、本当に見どころだ)。

だが、実際にはそういう作品ではない。せっぱ詰まった状況に、場違いに陽気なシーンが差し込まれ、混乱したごちゃ混ぜの作品になっている。楽しめる出来とはいえないが、大勢の観客を動員したあげく大コケする映画、というほどではない。心からにやりと笑える作品だが、その毒牙には特に何もないのだ。

VIDEO COURTESY OF SONY PICTURES ENTERTAINMENT


RELATED ARTICLES

TEXT BY ANGELA WATERCUTTER

TRANSLATION BY MINORI YAGURA/GALILEO