怪人二十面相、明智小五郎、少年探偵団。数々の有名なキャラクターを生み、日本の探偵小説の先駆け的存在である江戸川乱歩(本名・平井太郎=1894~1965)が、名古屋と深いつながりがあることをご存じだろうか。10月27日からの読書週間を機に、乱歩との縁を再確認しようとする動きが名古屋で起きている。

 「確かに、乱歩が『名古屋人』であることは、あまり知られていません」

 2007年に「乱歩と名古屋」(風媒社)を出版するなど、乱歩に関する数々の著書がある金城学院大学の小松史生子(しょうこ)教授も認め、残念がる。

 今の三重県名張市で生まれた乱歩は、父親の仕事で2歳の時に名古屋市に移り住んだ。旧制愛知県立第五中学校(現・瑞陵高校)を卒業するまでの15年間を名古屋で暮らした。

 多感な時期を過ごし、独特の感性を育んだ土地であるにもかかわらず、作品の多くが東京を舞台としており、ペンネームの「江戸川」の印象が強いせいか、名古屋との縁は広くは知られてこなかった。

 名古屋からの発信も少なかった。例えば、乱歩についての記念碑や展示はこれまで数えるほどだった。瑞陵高校には著名な卒業生を顕彰する屋外施設が正門近くにあるが、「命のビザ」で知られる外交官の杉原千畝(1900~86)の展示が大部分を占める。乱歩はパネルのみで、しかも本名の「平井太郎」として紹介されている。

 小松教授は「生誕地の名張は短期間しかいなかったが、銅像を建てるなど、乱歩の顕彰に力を入れている。なのに、15年もいた名古屋に何もないのはおかしい」と力を込める。

 没後55年となるこの秋、名古屋に記念碑が建つことが決まった。乱歩は名古屋時代、何度か市内で引っ越しているが、最も長く住んだのが現在の中区栄3丁目だった。碑は居宅があった場所に近い広小路通沿いの商業施設「スカイル」前に設けられ、31日に除幕式がある。シルクハットをかぶり、暗闇に消えていく怪人二十面相をイメージしたデザインで、高さ1・4メートル。特設ウェブサイトにつながるQRコードもあしらわれる。

 建立に携わり、瑞陵高校の同窓…

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