アインシュタイン訪日、熱狂から100年 時を超え、現代科学を刺激し続ける 「最も深遠な発見」引き出す

 100年前の1922年、アルバート・アインシュタイン(1879~1955年)が日本を訪れ、熱狂的ブームを巻き起こした。ノーベル物理学賞に輝いたのも同じ年。くしくも今年の同賞はアインシュタインが投げかけた疑問に答えを出した3人が受賞した。時を超え、現代科学を刺激し続ける天才の遺産を紹介しよう。(共同通信編集委員・辻村達哉)

アルバート・アインシュタイン
アルバート・アインシュタイン
「波」としての分子の姿を捉える実験装置と水瀬賢太北里大講師=東京都目黒区
「波」としての分子の姿を捉える実験装置と水瀬賢太北里大講師=東京都目黒区
量子コンピューターの実験装置を前に話し合う分子科学研究所の大森賢治教授(右)と富田隆文特任助教=愛知県岡崎市
量子コンピューターの実験装置を前に話し合う分子科学研究所の大森賢治教授(右)と富田隆文特任助教=愛知県岡崎市
アルバート・アインシュタイン
「波」としての分子の姿を捉える実験装置と水瀬賢太北里大講師=東京都目黒区
量子コンピューターの実験装置を前に話し合う分子科学研究所の大森賢治教授(右)と富田隆文特任助教=愛知県岡崎市


不思議に満ちた量子力学
 量子力学は原子や分子などミクロの世界の現象を説明するため、1920年代に作られた理論だ。ただ、常識的な考えとは相いれない面がある。
 まず原子は波のような性質と粒子のような性質を併せ持つ。位置や運動量などの「状態」はいくつもの状態の「重ね合わせ」になっていて測定するまで決まっていない。
 粒子2個のそれぞれの位置や運動量は決まっていないのに、その間の距離や運動量の差は決まっているということも起こり得る。そんな関係を「量子もつれ」という。
 もつれた粒子AとBのうち、Aの位置を測るとBの位置を、Aの運動量を測るとBの運動量を、いずれもBに影響を及ぼすことなく推定できる。
 現実世界で投げたボールの状態は測定しようがしまいが各瞬間に決まっていて、ボールに影響を及ぼさずに推定できる。
 だとすれば、Bの位置も運動量もボールと同様に、Aを測る前から決まっていると考えざるを得ない―。アインシュタインは1935年、所属する米プリンストン高等研究所の同僚ボリス・ポドルスキー、ネイサン・ローゼンと共に発表した「物理的実在についての量子力学的記述は完全だと考えられるか」と題する論文でそんな思考実験を展開し、量子力学は不完全だと主張した。この論文は著者名の頭文字を連ね「EPR論文」と呼ばれるようになる。

破れた不等式
 測定前のもつれた粒子の状態が何か未知の仕組みで決まっていると考えれば問題は解決する。
 1964年、英国・北アイルランド出身で欧州合同原子核研究所(CERN)に所属する理論物理学者ジョン・スチュアート・ベル(1928~90年)は、そんな仕組みの有無を判定するための「ベル不等式」を提案した。この不等式が破れている、つまり成り立たっていないならば、未知の仕組みはない。簡単な数式だが「科学で最も深遠な発見」と後に評価される。
 今年のノーベル物理学賞に輝いた3人のうち米国のジョン・クラウザー博士(80)は大学生の頃から量子力学に疑問を持ち、親しみが持てなかったという。ところが、コロンビア大大学院で電波天文学を研究する中で、1967年にベルの論文を知り、大いに刺激を受ける。
 ベルの提案を実験で検証することの意義を尋ねる手紙をベル本人に出したところ返事が来て、重大な意義があるとして激励された。さらに「世界を揺るがすような予想外の結果が出る可能性もわずかながらある!」とも書かれていたという。
 博士号を取得し、米西海岸にあるカリフォルニア大バークリー校の博士研究員となったクラウザーさんは、カルシウム原子が放つ、もつれた光子(粒子としての光)の偏光を調べることによってベルの不等式を検証するという実験に取り組み、不等式が破れている、すなわち成り立っていないという結果を1972年に発表した。アインシュタインの指摘に反して、量子力学が正しいことを裏付けたのだ。
 ただ、この実験には不備な点があった。クラウザーさんと共同受賞したフランスのパリ・サクレー大のアラン・アスペ教授(75)とオーストリア・ウィーン大のアントン・ツァイリンガー名誉教授(77)はこの不備を補う実験をし、ベルの不等式の検証を仕上げた。いずれも、不等式は破れているという結果だった。
 粒子の状態は測定前は決まっておらず、もつれた2個の粒子はどれだけ遠く離れていても一方を測定した途端、もう片方の状態が決まる―。常識的に理解しがたい内容ではある。しかし、受賞者3人の研究によって、量子力学が説明する通り、そう考えるしかないことが示されたのだ。
 「アインシュタインは正しいと思っていたので、結果が出た時はとても悲しかった。でも実験はうそをつかない」。今年11月下旬、米ワシントンにあるスウェーデン大使館で開かれたノーベル賞受賞を祝うイベントでクラウザーさんはそう語った。

「波」が見えた
 アインシュタインの疑問は量子力学の本質をえぐり出した。だが、この理論にはつかみどころのなさがつきまとう。それが科学者を引き付ける。
 量子力学が描く「波」としての分子を見る―。水瀬賢太・北里大講師(38)は2011年からそんな研究に取り組む。14年、毎秒1千億回転する窒素分子の「波」としての動きを可視化することに世界で初めて成功した。
 分子1個の動きを観察するのは極めて難しい。そこで水瀬さんや大島康裕・東京工業大教授(61)らは真空容器内で窒素ガスにレーザーを当て、回転の方向や速さがそろった分子集団を作った。
 そこに強力なレーザーを照射すると一部の分子が壊れ、複数の電子を失った窒素原子が飛び出す。それを検出すると壊れる直前の分子の状態が分かる。これを繰り返し、分子の「波」が速さの異なる複数の波から成り、形が時間につれて変わることを突き止めた。
 「理論で説明できていない分子の運動や、分子2個が出合って反応する様子を見てみたい」と水瀬さん。大島さんは「研究が進めば、全く新しい化学反応が実現できるかもしれない」と話す。

もつれた原子
 自然科学研究機構分子科学研究所(愛知県岡崎市)の大森賢治教授(60)も量子力学に魅せられた1人だ。普通のコンピューターでは事実上不可能な計算を一瞬でこなす「量子コンピューター」研究の第一線に立つ。
 電子回路でつくり出す「0」と「1」の状態を使い計算するコンピューターと違い、「0でもあり1でもある」という重ね合わせの状態を使う。
 大森さんの研究チームは最近、ルビジウムという金属の原子を操作して量子コンピューターの実現に不可欠なもつれをつくることに成功した。真空容器内にレーザーで捕捉し浮かせたルビジウム原子を1~2マイクロメートル間隔で格子状に並べ、別のレーザーを一瞬だけ当てると隣接する原子がもつれる。
 量子コンピューターの研究では、極低温に冷やして電気抵抗をゼロにした電子回路で「0」と「1」の重ね合わせ状態を使う「超電導方式」が先行している。米グーグルはこの方式で動作時間が15ナノ秒(ナノは10億分の1)という最速記録を2020年に打ち立てた。大森さんらは今回、6.5ナノ秒という動作時間を達成し、この記録を大幅に塗り替えた。動作が速いほどレーザー照射などに伴って発生し計算を邪魔する周囲からのノイズ(雑音)の影響を受けにくくなるため、量子コンピューターの実現に向けた大きな一歩として世界から注目を浴びている。
 実用的な研究で世界をリードする一方で、大森さんは量子力学の根本への探究をも模索している。「重ね合わせの状態は測定によって一つの状態に落ち着く。その様子を捉えるのは難しいとされてきたが、最近の技術の進歩によって可能になるかもしれない。それを見てみたいというのが私の研究の原点です」

よみがえる生涯唯一の実験
 数学を駆使する理論的な研究で知られたアインシュタインが、生涯で唯一取り組んだ実験がある。磁石の起源に関する「アインシュタイン・ドハース効果」を見つけた実験だ。その研究が今、新たな展開を見せている。
 20世紀初め、磁石の性質は内部をぐるぐる回る無数の微小な電流がつくり出すミクロな磁場が起源だと考えられていた。
 小さなコマが集まったようなもので、鉄など磁石になる物質の内部で当初ばらばらだった微小な電流の回転方向がそろって磁気を帯びると「角運動量保存」という力学法則によって、それを打ち消す向きに全体が回るはずだ、とアインシュタインは考えた。
 そこで、友人であるオランダの物理学者ヘンドリック・ローレンツ(1902年のノーベル物理学賞受賞者、1853~1928)の義理の息子、バンダー・ドハース(1878~1960)と共に、鉄の棒をつるして磁場をかけると棒が回ることを実験で示し、1915年に発表。逆に鉄の棒を回転させると磁気を帯びることも同年、米国の物理学者サミュエル・バーネット(1873~1956)によって報告された。こちらは「バーネット効果」と呼ばれる。
 同じ頃、アインシュタインは特殊相対性理論を拡張する一般相対性理論の完成に向け、理論研究に没頭していたはずだが、この実験にも精力を注いでいたようだ。親友にあてた手紙では「素晴らしい実験で、君が見られないのがとても残念だ」とつづっている。「それにしても自然というのは実験で迫ろうとするとなんて悪意に満ちているものなのか! 年を取ってからやるものだとつくづく思ったよ」とも書いており、微小な効果を検出するために苦労したことがうかがわれる。
 その後、磁気の起源は微小な電流ではなく、物質内部にある電子の「スピン」という量子力学的な性質だと判明する。鉄など「磁性体」と呼ばれる物質は内部の電子のスピンの向きがそろうことで磁気を帯びることになる。
 今世紀に入り、ナノテクノロジーにスピンを応用する「スピントロニクス」の研究が盛り上がる中、前川禎通・理化学研究所上級研究員は2010年、アインシュタイン・ドハース効果やバーネット効果を現代的な視点で捉え直す研究を、若手研究者らと始めた。
 マイナスの電気を持つ電子が物質中を流れるのが電流で、流れに伴って「ジュール熱」と呼ばれる熱が発生する。ナノテクノロジーにより電子回路がどんどん小型化する中、この熱が動作の障害になっている。スピントロニクスは電気ではなくスピンの「流れ」をつくり出すことで、スピンを情報の担い手として利用し、かつ熱の発生を抑えることを目指す技術として注目されている。
 前川さんらは、水銀など液体金属の流れの渦がスピンの流れを生み、電圧を発生させるという、新しい発電の仕組みを発見。また、能崎幸雄・慶応大教授らは、音波で銅を振動させたり金属内部に電流の渦を作ったりすることでスピンの流れができることを見つけた。
 力学的な回転運動とスピンの状態とのこのような結びつきを探り、応用を目指す研究は「スピンメカトロニクス」と呼ばれ、新たな研究分野として発展を遂げつつある。

1922年の日本訪問
 ドイツ・ベルリンを拠点に研究活動をしていたアインシュタインは新興出版社「改造社」の招きで、エルザ夫人と共に1922年11月17日~12月29日まで日本を訪れた。
 フランス南部マルセイユを10月8日に日本郵船の「北野丸」で出発。途中、該当者なしで保留されていた前年のノーベル物理学賞を授与するとの電報が届く。アインシュタインは受賞の可能性があることを、同賞の選考に当たるノーベル委員会委員のスバンテ・アレニウス(1859~1927)から9月の時点でほのめかされていた。なお、22年の同賞は量子力学の形成に貢献したデンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)が受賞した。
 神戸港に到着後、京都市内を見物し東京に向かい、東京駅で大勢の学生や一般人の歓迎を受ける。東京帝国大(現東大)での講義のほか東京、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、福岡で一般向けに相対性理論をテーマに講演。門司港から次の訪問地パレスチナへと旅立った。
 京都滞在中に息子たちに出した手紙には「日本人のことをお父さんは、今まで知り合ったどの民族よりも気に入っています。物静かで、謙虚で、知的で、芸術的センスがあって、思いやりがあって、外見にとらわれず、責任感があるのです」(「アインシュタインの旅行日記」草思社刊、畔上司訳)とつづられている。

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