1月27日、iPad発表10周年。「ジョブズの考えた魔法の板」は実現したか?

スティーブ・ジョブズ

10年前の2010年1月27日、iPadを発表するスティーブ・ジョブズ氏。

撮影:西田宗千佳

今からちょうど10年前の2010年1月27日。サンフランシスコで、世界で初めて、タブレット型のiOSデバイス「iPad」が披露された。筆者は数少ない日本の取材陣として、故・スティーブ・ジョブズ氏が壇上でiPadを掲げる姿を見ていた記者のひとりだ。

iPhoneが「スマートフォン」という商品ジャンルを定着させるのに大きな役割を果たしたように、「タブレット」という商品ジャンルに注目を集めたのもiPadの功績だ。

一方で、スマートフォンが生活に必須の道具となり、世界で年間約14億台を販売する製品になったのに対し、タブレットは全世界で年間約1億6000万台しか売れておらず、2014年をピークに減少傾向とされている。

では、タブレットという商品ジャンルは価値を失ったのだろうか?

筆者は違うと考えている。スティーブ・ジョブズ氏が語った言葉と理想を現在のiPadと比較することで、「iPadの10年」とその価値を振り返ってみたい。

「低価格なネットブックよりいいもの」を目指したiPad

「2010年1月」の名前がつけられた筆者の写真フォルダーを開くと、そこには、iPadの発売(2010年4月)から1年半後にこの世を去った人物の笑顔が残っていた。スティーブ・ジョブズ氏だ。

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2010年1月27日、iPad発表会でのスティーブ・ジョブズ氏。iPadの発表会は、ソファーに座り、リラックスした形でデモが行われた。

撮影:西田宗千佳

スティーブ・ジョブズ

ジョブズ氏が膝の上で楽しそうにタイプしているのが、そのとき世界で初めて披露された「iPad」。

撮影:西田宗千佳

黒い上質なソファーに座り、スリムな板状の機器を使いながら満足そうに微笑む。そんな姿は、いまなら珍しいことではない。

けれども、10年前はそうではなかった。

机に向かうのでなく、リラックスした姿勢で使うコンピューター。それが、iPadのなによりの特徴だった。

「iPhoneもモバイルデバイスだし、MacBookもモバイルデバイス。では、その間はどうだろう? ブラウジングやメール、写真にゲーム……。そういった用途には、“ネットブック”が使われることが多い。しかし、本当にそれがいいのだろうか? ネットブックは遅いし、ディスプレイのクオリティは低いし、使うのはPC用ソフト。“安いPC”でしかなく、良いところといえば、安いことくらい。なにか、もっとずっといいものがあるはずだ」(ジョブズ氏)

そう、その「もっとずっといいもの」として発表されたのがiPadだった。

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ジョブズ氏は当時流行していた「ネットブック」を痛烈に批判し、「なにかもっといいものがあるはず」と訴えかけた。

撮影:西田宗千佳

2000年代末には「ネットブック」という低価格PCがもてはやされた時期があった。低価格なCPUを使い、ディスプレイやメモリーなどの性能を限定し、さらに、搭載するWindowsのラインセンス価格としても「特別に安いもの」を用意することで、200ドル、300ドルで買えるPCを作り、販売することが流行っていた。

iPadとはつまり、見方を変えれば「低価格PC対策」だったわけだ。けれども、それだけが目的ではない。

同時にジョブズ氏は背後のスクリーンに、もうひとつのライバル製品を大写しにした。アマゾンの「Kindle」だ。

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ジョブズ氏はKindleには最大級の賛辞を送った。その上で「iPadはもっといいものになる」と自信を見せた。

撮影:西田宗千佳

アマゾンはアメリカで、2007年11月から、電子書籍ビジネスをスタートしていた。そこでの武器は、E-Inkを使った電子書籍専用端末「Kindle」だった。日本でのKindleビジネス開始は2012年なので、当時はまだ国内参入の「噂があるだけ」の時期だ。

ネットブックを徹底的に批判したジョブズ氏だったが、Kindleについてはそうではなかった。

「アマゾンは実に素晴らしい仕事を成し遂げた。電子書籍市場を成立させた最大の功労者は彼らであり、もっとも大きなライバルである。だからこそ私達は、彼らの“肩の上”に乗ってビジネスを始めたい」(同)

市場開拓者としてアマゾンに最大級の賛辞を送りつつ、「でもiPadでより良いビジネスを展開する」と自信を示した格好だ。

iPadの発表は同時に、アップルの電子書籍ストアである「iBookStore(現Apple Books)」の発表であり、電子書籍市場への参入でもあった。

低価格で、PCと同じようにブラウジングやメールなどに使えて、Wordのような文書作成もこなせる。一方で、「板」という形状から、本や書類を読む感覚で使えて、ソファーなどではクラムシェル型のPCよりリラックスできる。

iPadの発表は、当時のライバルを見据えつつ、すでに発表されたiPhoneとMacBookの間を埋め、広い市場をカバーする製品の登場、としてアピールされたのだ。

ブームから醒めて去って行くライバル

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発表当時撮影した、初代iPadとiPhone3GS。今見るとなんともレトロに見えることが10年の歩みを感じさせる。

撮影:西田宗千佳

iPadが発売されると、タブレット市場は急速に盛り上がった。

iPad発売から3カ月後、サンフランシスコで開催された年次開発者会議「WWDC2010」の基調講演でジョブズ氏は、「iPadは3秒に1台売れている」と好調さをアピールした。

ライバルも急いでiPad対抗のタブレットを開発する。

アップルから名指しされたアマゾンは、2011年11月、Androidをベースとした独自OSを使った低価格タブレット「Kindle Fire」を発売した。価格はなんと199ドルで、iPadよりもさらに安い。

グーグルも、2012年に「Nexus 7」「Nexus 10」を発売、特にNexus 7は、アマゾンのKindle Fire同様199ドルと低価格に設定され、注目を集めた。

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アップル表参道。

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2012年8月に発売された、マイクロソフトの「Windows 8」は、「タブレットモード」を備え、マイクロソフト独自のアプリストア「Windowsストア(のちにMicrosoftストアに改称)」も立ち上げた。PCの側からも、明確に「iPad対抗」が見えるトレンドとなっていた。

けれども、このトレンドは長くは続かない。

低価格なタブレットは、確かに動画やウェブ、電子書籍などの閲覧には向いていた。

しかし、それ以上のことをするには処理能力が足りず、PCの代わりにはならなかった。一方で「閲覧には十分に使える」ため、買い換えも促進されない。結果、ハイエンドなタブレットの市場はなかなか育たない。

現状、Androidのタブレット市場は大幅に縮小している。すでにグーグルは、Androidを使ったタブレット端末を出す意思を持っていない。残るのは、低価格路線を進むアマゾンと、ファーウェイやNECパーソナルコンピュータなどの一部企業だけだ。

ユーザーから不評だったWindows8は、その後Windows10へ移行する。タブレットモードでの利用や独自アプリストアの要素などは後退し、「PCとしての良さ」をより前面に出す構成に変わった。

そして、当のiPadも、2014年頃までのブームが過ぎると、市場拡大に苦しむことになる。

軽く、PCよりも安価でバッテリーも持つものの、文書作成などの「PC的な使い道」では制限もあり、特に初期には「期待外れ」との声も大きかった。

急速に盛り上がっただけに、その後の停滞が長く厳しいものに見えてしまうのは致し方ない。

「ジョブズの理想」の到達には10年必要だった

スティーブ・ジョブズ

撮影:西田宗千佳

では、iPadはずっと停滞していたのだろうか? 2016年頃までは、市場からも「売れ行きが芳しくない」と冷たい視線を向けられていた。

けれども、現在に目を移すと、市況は好調だ。アップルを支える事業のひとつとなり、タブレット市場で揺るぎのないトップシェアを誇る。

iPadの勝因は3つある。

iPadの勝因1. 2015年に登場した「iPad Pro」以降、ハイエンド路線が定着したこと

高性能・高精度なApple Pencilに対応し、クリエイターの需要を満たせるようになってきたこと。現在はすべてのiPadのラインナップがApple Pencilに対応し、よりコストパフォーマンスが向上した。

iPadの勝因2. OSが進化し、PCとの差が小さくなったこと

特に最新の「iPadOS」は、過去に「PCに比べて使いづらい」と言われていた点の多くを改善している。もちろん、いまだPCの方が良い部分はあるが、今のiPadOSには過去の失望を補うだけの機能がある。

iPadの勝因3. 「有料アプリの市場が確立している」こと

PCでは、個人向けにアプリを販売する市場はすでに崩壊しており、一部の定番を除き、ウェブサービスしか成立していない。

それに対してiPadは、有料で販売されるアプリの市場が成立している。だから、新しいハードウェアの機能を活かしたアプリは、PCよりもiPadで生まれやすくなっている。このことは、「コンピューターとしてのiPad」の価値を高める、もっとも大きな要素だ。

Androidのタブレットは、コンテンツ消費やゲーム以外のアプリが弱い。

ジョブズ氏は、iPadにペンを導入することに否定的だったと言われる。そういう意味で、現在のiPadと初代iPadは違う存在だ。

だが、「PCとは違う快適なコンピューター」「その上に成立するアプリ市場」という考え方は、10年前にサンフランシスコで見た初代iPadが目指していた姿、そのものだ。

アップルは10年かけて、iPadを「スマホとPCの間にある、別のコンピューター」に仕上げた。

それができたのは、iPhoneが生み出した膨大なキャッシュの存在があるから、といえるかもしれない。

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2010年のiPad発表会でデモされた「Brushes」というお絵かきアプリ。いまやiPadではフォトショップすら動くようになったが、10年前から基本的な発想は変わらない。

撮影:西田宗千佳

iPhone以降、アップルは「これぞ」というジャンルでは継続性を重視している。

Apple Watchも、初期の評判こそ優れなかったものの、世代を追うごとに完成度を高め、いまや「最も人気のある時計」のひとつになっている。他社が諦めて撤退していく中でも、しつこく継続しつづけた成果といえる。

iPadも同じだ。

他社が安売りに走り、ブームから醒めて撤退していく中で、あえて同じ位置・同じ理想に立ち続けた。

揺るがずに継続する姿勢と、それを支える財務態勢こそが、iPadを「ジョブズの理想」に到達させたのだ。

(文、写真・西田宗千佳)

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