出生地の名張は聖地化…ペンネームも「江戸川」だけど乱歩は「名古屋人」だった【企画・NAGOYA発】
2022年11月30日 12時49分
◇第12回「乱歩は名古屋人だった」その1
『怪人二十面相』などの探偵小説で知られる推理作家、江戸川乱歩(1894~1965年)は、少年時代の約15年間を名古屋市で過ごした。その事実はこれまであまり知られておらず、最近になってゆかりの地として盛り上げていこうという動きが出始めている。乱歩の名を世に送り出した推理作家の小酒井不木(1890~1929年)も同市内に自宅を構え、作家たちのサロン的な機能も果たしていた。つまり名古屋は日本のミステリー史では重要な存在で「奥座敷」とも呼ばれる場所だった。(鶴田真也)
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乱歩は「名古屋人」だった。そう言っても差し支えはない。
生まれたのは現在の三重県名張市。市内には生誕地の碑などが設置され、乱歩ファンの聖地のような存在になっている。ただし、実際に過ごしたのは乳児のころまでだ。父の転勤で2歳で同県亀山市に移り、3歳になってから名古屋市内に転居。早大に進学する直前まで約15年にわたって当地で過ごした。
卒業したのは旧制の愛知県立五中(現・瑞陵高)。市内で5回の引っ越しを重ねたが、最も長く暮らしたのは栄交差点近くの旧南伊勢町(現・中区栄三丁目)で、2020年11月には地元とのつながりを多くの人に知ってもらおうと「江戸川乱歩旧居跡記念碑」がクラウドファンディングなどを使って建立された。
実際の作品に登場する見せ物小屋やお化け屋敷などは、少年時代の原体験が大きく影響しているという。名古屋を扱った作品としては『猟奇の果』『石榴』『百面相役者』があり、その中に出てくる「G町」は御器所町(ごきそ、同市昭和区)のことで、「O観音」は同市中区の大須観音を指している。
早大卒業後は職業を転々とし、日本各地で放浪生活をしながら創作活動も継続した。
運命を変えたのは1923(大正12)年に雑誌『新青年』に応募した『二銭銅貨』が掲載されたこと。推薦したのが名古屋在住の作家、小酒井不木だ。海外の小説に明るく、雑誌社側から「海外の翻訳ものではないか」と問い合わせがあり、そこでオリジナルの秀作とお墨付きを付けた。作家デビューを後押した大恩人でもあった。
その4年後に乱歩が休筆宣言したときも不木から援助を受けた。名古屋を拠点に発足した小説合作組合への誘いがあり、共作で作品を脱稿したこともある。その時に名古屋市内にあった「大須ホテル」を定宿にしていた。現地に滞在しているとの情報を聞き付けた作家の横溝正史が東京からわざわざ捜しにきたこともあったという。
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