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都城島津家の家紋
家紋とは、その家や一族の由緒等を形で表現した記号、マークのことです。都城島津家の家紋は、島津本家の家紋と非常によく似ていますが、丸と十文字とが離れているのが特徴です。
都城島津家の家紋がいつこの形になったのかは、残念ながらはっきりしていません。ただ、18世紀になると、藩によってその形や使い方の規制が行われるようになります。
都城島津家に対して藩は、宝永2年(1705)11月に「都城島津家の家紋が十文字と丸のすき間が少ないので、そのすき間がよくわかるようにすること」という命令を出しています。これは藩主の家紋とよく似ていることから、その違いをはっきりとさせるために命じたものでした。つまり、これ以前は、丸と十の間のすき間がせまく本家との違いがはっきりしていなかったことを示しています。
なぜこの時期に藩がこうした規制を行ってきたのでしょうか。それはこの時期に幕府によって徳川葵の御紋について、その類似紋の使用を禁止するなど規制を行ってきたからでした。藩もこれに併せて本家と他の家の家紋との差別化を図り、その価値を高めようとしたのです。そしてこれに伴って、都城島津家の家紋も独自性が強くなり、社会的にも認識されていくことになったのです。