CROSSOVER BOOK | JAN 2023

心を動かすスポーツ SportsDocument CROSSOVER BOOK016

栗原恵

運命を変えた出会い[サッカー元日本代表]

アスリート人生に壁が立ち塞がったならば。それは自分が成長するチャンスが訪れたと言うことだ。

CROSSOVER BOOK016

栗原 恵

MEGUMI KURIHARA

Special Interview


アスリートは自身の足跡によって求められ、求められることによって未知の力を発揮する。
闘病を乗り越え、輝きを増していった17年間の競技人生を紐解きます。

CROSSIOVER top-title_book017

Special Interview ASUKA TERAMOTO

「ただの体調不良くらいにしか思っていませんでした」

2016年、秋の声を聞くころ。
栗原恵は、医師の診断をにわかには信じられなかった。


脳血栓……。


治療は可能だが、後遺症をもたらす可能性も示唆された。
日本代表では世界のトッププレーヤーの一人にも数えられた、Vリーグ・日立リヴァーレのエース。
彼女に訪れた、圧倒的な危機。
アスリート生命はおろか、栗原の生命そのものに立ちはだかった、人生最大の壁だった。

CROSSOVER BOOK016

Special Interview ASUKA TERAMOTO

プロバレーボールプレーヤー・栗原恵は、


そのバレー人生において幾度も壁と
呼ぶべきピンチにさらされてきた。



2004年、当時の日本リーグの移籍規定により1シーズンを棒に振る。2006年、代表合宿中に左足を負傷。半年間のリハビリ生活を余儀なくされる。2009年、左膝半月板損傷(翌2010年手術)が完治しないままに、翌年の世界選手権に強行出場。その代償に銅メダルを獲得した2012年ロンドンオリンピックの代表選考に漏れてしまう。

CROSSOVER BOOK016

Special Interview ASUKA TERAMOTO

だが、いずれの場合も栗原は現実を粛々と受け入れてきた。やるべきことをやったうえでの結果ならば、彼女はそれを挫折とはとらえないのだ。


そして、
いずれの場合も栗原は
再浮上を遂げている。


ケガをしたなら治療をして、荒波が去るのをじっと待つ。その後で、自分が求められる存在なら必ず声がかかる。事実、栗原はその都度求められ、コートに戻っていった。運命にあらがわず、自分がまだバレーをしたいかどうか、その意志にのみ従ってきたバレー人生なのである。

CROSSOVER BOOK016

Special Interview ASUKA TERAMOTO

しかし、2016年の苦難は、さすがの栗原をも動揺させた。治療しても、バレー選手としての復帰は約束されない。診断を受けた直後には、担当医の前で号泣したという。気持ちとしては、求められて入団した日立リヴァーレで、まだバレーを続けたい。家族同然のチームメイトや、スタッフの顔が脳裏を過ぎった。そんなとき、栗原の先の見えない病状を知った母が彼女に懇願する。


『バレー人生よりも、あなた自身の人生を優先してほしい』
この一言で、栗原は引退を決意する。そして、プロ契約を結んでいる日立リヴァーレにもけじめをつけるべく申し出た。



「解雇してください」


役に立たなければクビになる。プロとして当然の判断だった。ではなぜ、栗原は奇跡的な復活を遂げたのか?

このときもまた、彼女の状況を知ったうえで、彼女を求める人たちがいたのだ。当時、親会社の重鎮で、リヴァーレの顧問を務めていた大沼邦彦氏は、栗原の解雇の申し出を即座に却下する。

『どれだけ時間をかけてもいい。病気を治して、コートに戻ってきてほしい』リヴァーレ入団以来、大沼氏は栗原を他の選手と同様、実の娘のように思い、栗原もまた大沼氏を<茨城のお父さん>と呼んで慕ってきた。その絆が切れることはなかったのだ。チームメイトたちも、栗原の復帰を待ち望んだ。2年前、まだ発展途上のリヴァーレにやってきた栗原は、自身の経験を惜しみなく伝え、チームをリーグのトップクラスに押し上げた功労者の一人。折に触れて後輩たちの相談にも乗ってきた。『慕ってやまない姉を失いたくない』チームメイトたちは、病床の栗原にエールを送り続けた。

CROSSOVER BOOK016

Special Interview ASUKA TERAMOTO

アスリートは自身の足跡によって求められ、
求められることによって未知の力を発揮できるのかもしれない。
栗原もまた、求められることで引退を翻意し、つらいリハビリ生活に入っていった。
「病院の先生たちも、コートに戻ることを前提に治療方針を立ててくれたんです。
私自身よりも、私の未来をあきらめないでいてくれた命の恩人です」

そして2017年1月、
栗原恵がコートに戻ってきた。

世界の強豪国が恐れた強烈なスパイクを相手コートにたたきこむ。
彼女の闘病を知る者たちは、それを奇跡と呼んだ。

CROSSOVER BOOK016

栗原 恵

MEGUMI KURIHARA

Profile


1984年7月31日生まれ。広島県出身のバレーボール元日本代表選手。
小学4年からバレーボールを始める。高校は名門・三田尻女子高校に進学し高校4冠達成。2001年 に全日本女子に初選出。翌年、日米対抗で代表デビュー。「プリンセス・メグ」として親しまれ、 バレーボール人気に火をつける。アテネ五輪では5位入賞。2007年のアジア女子選手権大会で5年 ぶりに中国を破り24年ぶりの優勝に大きく貢献。同年のFIVBワールドカップバレーボール2007で は全日本女子のエースとして活躍。2008年のワールドグランプリでは決勝ラウンドでベストスコア ラー賞とベストサーバー賞をW受賞。夏の北京五輪出場。2010年にはFIVB2010女子バレーボール 世界選手権で32年ぶりに銅メダル獲得。2011年、ロシアのスーパーリーグ「ディナモ・カザン」 に入団し、海外でプレー。2019年6月4日、現役引退を発表。