週末を中心ににぎわう青邨展(11月13日まで)。まもなく折り返しとなります。
前期(23日まで)展示されている「蘭陵王」「花売り」「春山霞男」など、前期日程まで展示される主な作品を解説付きで紹介します。

近代日本画の巨匠・前田青邨(1885~1977)の全貌が分かる大型展示。近代日本画の一つの到達点!

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究極の白 天上の碧
16歳から本格的に古画学ぶ
前田青邨(せいそん)(1885~1977年)は武者絵を好み、16歳で梶田半古(はんこ)に入門して本格的に歴史人物画を学び始めます。半古は写生と古画研究を重んじ、青邨は多くの近代日本画家にとって歴史画の参考書となっていた菊池容斎(ようさい)の『前賢故実(ぜんけんこじつ)』や「伴大納言(ばんだいなごん)絵巻」、「信貴山縁起(しぎさんえんぎ)絵巻」などの粉本(絵手本)を写して古画を学びました。
「春山霞男(はるやまのかすみおとこ)」(明治末期、伊豆市蔵)は古事記に取材した作品です。春山霞男が但馬国(兵庫県)の出石(いずし)にいる、どの神の求婚にも応じない伊豆志袁登売神(いずしおとめのかみ)を妻にすることができれば、兄の秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)が衣服を渡し、酒や食事をごちそうするという賭けを行いました。
春山霞男は母に助力を求めたところ、藤の花で織られた衣服と弓矢を授かり、それを身につけて伊豆志袁登売神の家を訪れ、見事に妻にすることができたという話です。この作品には、白と青の花を咲かせる藤の装飾を身にまとい、白馬を従えた春山霞男が表されています。古事記に精通していないと構想できない場面を青邨は描き出しています。
青邨は、明治40(1907)年に美術研究団体の紅児会(こうじかい)に入会し、近代日本美術史上で大きな役割を果たすことになる松本楓湖(ふうこ)門下の今村紫紅(しこう)や小堀鞆音(ともと)門下の安田靫彦(ゆきひこ)らと知り合います。松本楓湖も小堀鞆音も歴史画家で、紅児会は当時の代表的な歴史画家に学んだ、20代の若い画家たちが集まった研究会です。紅児会は歴史上の人物や故事だけでなく、花鳥や風物など幅広い画題を描き、表現の点でも新しい時代に向けての日本画の研究を進めていました。

「春山霞男」は青邨の紅児会入会後の作品で、紅児会を支援していた修善寺(静岡県)の新井旅館当主、相原沐芳(もくほう)が所有していた作品です。体調を崩して鎌倉(神奈川県)で療養していた青邨を沐芳が見舞い、新井旅館に滞在させたことをきっかけにして、青邨はたびたび修善寺を訪ね、「湯治場」(1914年、東京国立博物館蔵)にも修善寺を描いています。
(県美術館学芸員・北泉剛史)

「戦う王」の歌舞伝わる躍動感 
 龍(りゅう)を頭にのせた異形の面と赤い装束を身につけた舞人が、左足を高く上げています。面の下の肌は血色がよく、朱のくちびるは口角が上がっています。わずかに見えるその肌や口元から若く美しい舞い手であることが伝わってきます。舞人が扮(ふん)する蘭陵王(らんりょうおう)とは、昔の中国に実在した王様、北斉(ほくせい)の蘭陵武王(ぶおう)・高長恭(こうちょうきょう)です。
眉目(びもく)秀麗の美男子だった彼は、敵に侮られないように一番強そうに見える面をつけて先頭に立って戦い、みごとに戦争に勝ちました。その戦いの様子を兵隊たちが喜び、歌舞にしたと伝えられています。窠文(かもん)(瓜(うり)を輪切りにしたものをデザイン化した文様)が散らばる赤い袍(ほう)(身分の高い人が身に着けた上着。背面が非常に長い)の裾(すそ)は、蘭陵王の上半身の動きと呼応するような形に翻り、画面に躍動感を生み出しています。
本作品「蘭陵王」は、三菱第四代社長、岩崎小彌太(こやた)の邸宅のために制作されました。文化や美術に精通していた岩崎家の、客人をもてなすためのメインダイニングルームを飾る作品の一つだったそうです。
勇猛で美しく、実業家の住まいでひときわ輝きを放っていたことでしょう。
創造の源泉には前田青邨が尊敬していた近世の画家、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の「舞楽図屏風」(京都・醍醐寺蔵)が指摘されています。日本美術院の大先輩、小堀鞆音(ともと)もほぼ同じ形の「蘭陵王」を描いており、大和(やまと)絵(え)系の画家にとっての好画題でした。青邨の蘭陵王は、太い線の中に琳派(りんぱ)が好んだ「たらし込み」技法で装飾が施され、線と色面が織りなす豊かな装飾性に重点がおかれています。装束(しょうぞく)の朱色と背景の金地のハーモニーが実に華やかで、装束の有職(ゆうそく)文様も鮮やかであり、一つ一つの色を大切にする青邨の感覚が伝わってくるようです。
(県美術館学芸課長・青山訓子)

欧州やエジプトでの経験反映
 前田青邨にとっての大正時代は、海外の体験から刺激を受けて新たな画風を模索し、日本画家としての迷いを乗り越えた時期でした。
朝鮮旅行(大正4年)で異国の風物に惹(ひ)かれて意欲的な制作ができたものの、続く中国旅行(大正8年)では、雄大な自然に触れながらも体調を崩して満足にスケッチできなかったことを後悔しています。さらに当時、西洋画の評価が高まるなかで、青邨はこのまま日本画で進むべきかと迷いが生じたため、円覚寺(神奈川県鎌倉市)の高僧・釈宗演(しゃくそうえん)の下に参禅し、静養に努めました。その後、日本美術院研究生としてヨーロッパへ留学する機会を得て(大正11~12年)、中世のイタリア絵画を見たことで日本画と共通するものを感じ、日本画家としての確信を得て邁進(まいしん)することになります。
「花売り」(大正13年、東京国立博物館蔵)は、青邨が帰国後最初の第11回再興院展に発表した作品で、現在の岐阜市柳津町出身の実業家・原三溪(はらさんけい)(本名・富太郎)の旧蔵品です。京都市の北白川から市内へ向かって花を売り歩く2人の白川女(しらかわめ)を等身大の画面に描き、青邨の娘婿で美術史学者の秋山光和(てるかず)氏により、本作はエジプトでのスケッチや神殿の壁面浮彫(うきぼり)から発想を得て制作されたことが指摘されています。青邨の海外の体験が日本の画題に置き換わり、歴史上の人物ではなく同時代の人物を主題にした初期の作品としても興味深く、白川女の表情や手足、装束に加え、頭上の藤の箕(み)の編み目やそこに積まれた彩り豊かな花々が写実的かつ幻想的に描かれています。

三溪は、横浜で生糸売込問屋を営んでいた義父・原善三郎の事業を継ぎ、生糸貿易で財を成して広大な日本庭園の三溪園を開園しました。優れた美術品を蒐集(しゅうしゅう)したことでも知られます。また、日本美術の発展のために荒井寛方(かんぽう)や安田靫彦(ゆきひこ)、今村紫紅(しこう)、そして前田青邨ら有望な若手日本画家たちへ制作資金を援助し、蒐集した美術品を画家たちの古画研究に役立たせました。三溪は大正12年の関東大震災以後、横浜復興に注力し画家への支援を終えますが、同郷の青邨へは、明治44年から大正13年までの代表作を買い上げるなど厚く支援し続けました。
(県美術館学芸員・北泉剛史)


展覧会概要展覧会名  開館40周年記念 前田青邨展 究極の白、天上の碧(あお) ―近代日本画の到達点―
会  期  2022年9月30日(金)~2022年11月13日(日)
展  示  前期展示:10月23日(日)まで、後期展示:10月25日(火)から
開館時間  10:00-18:00 ※10月21日(金)は20:00まで開館(入場は閉館30分前まで)
休 館 日  月曜日(祝・休日の場合は翌平日)

観覧料一般 :1,300(1,200)円
大学生:1,000(900)円
高校生以下無料
※( )内は20名以上の団体割引料金
※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、難病に関する医療費受給者証の交付を受けている方とその付き添いの方(1名まで)は無料でご観覧いただけます。

お問合せ岐阜県美術館   岐阜市宇佐4-1-22  TEL.058 -271 -1313
岐阜新聞社事業戦略局 岐阜市今小町10   TEL.058-264-1159(平日9:00~17:00)


☆会期中の催し物などはHPをご覧ください
https://kenbi.pref.gifu.lg.jp/events/seison2022/

主催 岐阜県美術館、岐阜新聞社、岐阜放送、前田青邨展実行委員会
後援 朝日新聞社、NHK岐阜放送局、岐阜県教育委員会

本展覧会は、(公財)田口福寿会、十六フィナンシャルグループの助成を受けています

協力 中津川市、日本通運、岐阜県社会保険協会
協賛 岐阜県JAグループ、大垣共立銀行、バロー、岐阜信用金庫、損害保険ジャパン、トーカイ、
岐阜プラスチック工業、岐阜商工信用組合、イビデン、太平洋工業、ヤマカグループ、美濃工業
助成  (公財)花王 芸術・科学財団

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