2022年に没後400年を迎え、2023年と2024年に遠忌記念の展覧会が予定されている織田有楽斎(おだうらくさい)こと織田長益(おだながます)。

信長の実弟として戦国時代を生き抜き、独自の茶の湯の世界を極めた人物です。彼が再興、隠棲した京都・正伝院(しょうでんいん)(現・正伝永源院<しょうでんえいげんいん>)には、有楽流茶道とともにゆかりの品々が伝わっています。

俳優・真野響子さんとその地を訪れ、有楽斎の美意識に触れることで、彼が大切に育み、志したことを繙きます。そこには、現代に生きる私たちに響くメッセージがありました。

“蓮の一生を描いた障壁画に、有楽斎は、自分の在り方を重ねていたのでしょうね”
──真野響子さん

<写真>狩野山楽筆 「蓮鷺図襖絵」
正伝永源院の本堂を飾る障壁画。正面右手から、蓮の蕾が正面に行くに従って花開き、左側では実り枯れていく様が16面にわたって描かれ、人の一生を思わせる。有楽斎と親交が深かった京狩野派の始祖、狩野山楽によるもの。

<真野さんの着物>帯〆、帯あげ/すべて服部商店 帯/服部織物

まやきょうこ〇俳優。東京都生まれ。桐朋学園大学芸術学部演劇学科卒業後、劇団民藝に入団。1992年フリーとなり、テレビ・ラジオのドラマ、映画、舞台で活躍。美術、工芸に造詣が深く、現在、婦人画報プレミアムでは2012年から3年間小誌で連載した「真野響子が巡るきもの遺産」を好評配信中。


没後400年を記念した特別公開と展覧会を開催

2023年4月から京都文化博物館で遠忌記念の展覧会がスタート。4月14日(金)~6月25日(日)まではそれに合わせて、同じ京都にある正伝永源院も特別公開されます。散策にもぴったりな春~初夏の京都を訪ねてみてはいかがでしょうか。

『四百年遠忌記念 大名茶人 織田有楽斎』展
再調査された正伝永源院に伝わる宝物などを、新たな知見をもとに公開する展覧会。高麗茶碗「有楽井戸」をはじめ名品が揃い、有楽斎の美意識に触れる機会に。

DATA
[京都展]
会期:4月22日(土)~6月25日(日)
開室時間:午前10時~午後6時(金曜日は午後7時30分まで)※入場はそれぞれ30分前まで
会場:京都文化博物館
Google mapで確認
京都府京都市中京区三条高倉

[東京展]
会期:2024年1月31日(水)~3月24日(日)
会場:サントリー美術館
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東京都港区赤坂9丁目7-4 東京ミッドタウン ガレリア 3階

正伝永源院 特別公開
有楽斎ゆかりの寺院の歴史を受け継ぐ建仁寺塔頭の期間限定公開。この時期庭園はつつじと新緑に鮮やかに彩られる。杮葺きが美しい茶室も庭園から見学できる。

DATA

期間:[前期]2023年4月14日(金)~5月14日(日)、[後期]5月27日(土)〜6月25日(日)
拝観時間:午前10時~午後4時30分(午後4時受付終了)
拝観料:一般700円
tel.075-531-0200
Google mapで確認

京都府京都市東山区大和大路通四条下ル四丁目小松町586(建仁寺北側)


婦人画報プレミアムでは「織田有楽斎」特集を前編・後編でお届けします。

◆後編

【織田有楽斎の宝とは】真野響子さん、正伝永源院住職・真神啓仁さんが茶室で対談

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● 織田有楽斎とは何者か⁉
● 独自の世界を育んだ茶人、有楽斎好みの茶道具
● 没後400年を記念した大規模展覧会を開催

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織田有楽斎とは何者か⁉

へうげもの」山田芳裕(講談社)
若い時期から織田家家老の平手政秀のもとで茶修行をした長益。武将としても、信長による軍事パレード「京都馬揃え」や武田攻めに参戦。『へうげもの』山田芳裕(講談社)

有楽斎こと織田長益は、天文16(1547)年、織田信秀の子、信長の13歳年下の異母弟として生まれました。信長、秀吉、家康と、3人の天下人に仕えて戦乱の世を生き、京に隠棲後は75歳で没するまで、茶の湯三昧の日々を送ったと伝わります。

茶人として名高い一方、武将としての一般的なイメージは“逃亡した臆病者”という不名誉なもの。本能寺の変で、二条御所に籠る信長の長男・信忠の切腹後、長益はそこから脱出し、岐阜まで逃げ延びています。そのため、江戸時代の歴史書では信忠に自害を進言したのは長益だとされ、「逃げの有楽」と揶揄されてきたのです。

しかし、本能寺の変の後、信長の次男・信雄(のぶかつ)に仕えて重要な役割を担うなど、長益の行動が咎められていたとは考えられません。悪評は徳川の世に迎合した方便だったのではないかと、昨今は見直しが進んでいるようです。

長益は、信雄が改易されると、次は秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)、つまり側近に加わり、そのころ剃髪して有楽斎と称しました。関ヶ原の戦いでは東軍につき参戦。大坂冬の陣では豊臣・徳川の和議のために尽力するも夏の陣を前に城を去り、以降、京都に隠棲します。

「へうげもの」山田芳裕(講談社)
秀吉の御伽衆となったころ、長益は剃髪入道して有楽斎と号する。無楽斎だった号を、秀吉からの勧めで有楽斎に改名したとの説も。『へうげもの』山田芳裕(講談社)

京都では正伝院を再興、茶室「如庵(じょあん)」を建立し、茶の湯を追求します。型にとらわれず、武士ながら柔らかな茶風は、のちに有楽流として引き継がれ、いまに伝わっているのです。


茶人・有楽斎ゆかりの道具たち

「へうげもの」山田芳裕(講談社)
正伝永源院所蔵

青銅 狸型壺

明時代の水滴と推定される、高さ6センチほどの愛らしい小壺。唐物を重用し、書をよくした有楽斎愛用品でしょうか。珍しい狸のモチーフです。

織田有楽斎作茶杓 銘 落葉
正伝永源院所蔵

織田有楽斎作茶杓 銘 落葉

軽やかさを感じる茶杓。有楽斎作の茶杓は多く伝わり、「玉ふりふり」(根津美術館蔵)、「鶴古意」(畠山記念館蔵)など、銘もユニーク。

真形釜 有楽茶所銘
正伝永源院所蔵

真形(しんなり)釜 有楽茶所銘

胴に「有楽斎茶所」「栖玄庵常住」の銘が鋳出されています。栖玄庵は江戸の織田家の菩提寺であり、有楽斎を偲んで懸釜(かけがま)がなされたかもしれません。

蒔絵 桜鳴子文小鼓胴
正伝永源院所蔵

蒔絵 桜鳴子文小鼓胴

織田家の家紋である木瓜紋の蒔絵が施された箱に、皮や紐とともに収められていた小鼓の胴。絵模様は桃山時代に盛行した平蒔絵によるものだそう。

織田有楽斎像
正伝永源院所蔵

織田有楽斎像 古澗慈稽賛・狩野山楽筆

長益の没した翌年、孫の長好(ながよし)が描かせ、禅僧・古澗慈稽(こかんじけい)に着賛を依頼した画像。墨衣に袈裟をかけた晩年の法衣姿です。


撮影=高嶋克郎(正伝永源院) ヘア=金丸和代 メイク=鵜飼真理 着付け=山崎真紀 協力=織田有楽斎四百年遠忌実行委員会・正伝永源院(建仁寺塔頭) 編集=須田秀子(婦人画報編集部)

『婦人画報』2023年5月号より