「私たちを信じていますか?」アポロ8号の写真と振り返る、故フランク・ボーマン宇宙飛行士

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  • author George Dvorsky - Gizmodo US
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「私たちを信じていますか?」アポロ8号の写真と振り返る、故フランク・ボーマン宇宙飛行士
Image: NASA

11月7日、NASAの元宇宙飛行士フランク・ボーマンがモンタナ州ビリングスで亡くなりました。享年95歳。

ボーマン氏は1928年に生まれ、宇宙探査の歴史において最も影響のある人物の一人として頭角を現しました。冷戦期の宇宙開発競争の真っ只中にテストパイロット、宇宙飛行士、そして草分け的なアポロ8号の船長としてキャリアを広げていったのです。

彼が船長を務めた1968年のアポロ8号は人類初の月周回ミッションとして、その後の月面着陸への準備を整えました。ボーマンの宇宙探査への献身とリーダーシップの手腕は、アメリカ宇宙史の最もダイナミックで波乱に満ちた時期におけるNASAのミッションの前進には欠かせませんでした。

ボーマン宇宙飛行士のキャリアと彼が宇宙探査史に残した功績を、NASAの画像と共に振り返ります。

新人宇宙飛行士たち

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Image: NASA

1962年9月17日、ヒューストンにあるNASA有人宇宙船センター(現・ジョンソン宇宙センター)で9名の新宇宙飛行士がお披露目されました。

前列は左からチャールズ・コンラッド、フランク・ボーマン、ニール・アームストロング、ジョン・ヤング。後列はエリオット・シー、ジェームズ・マクディビット、ジム・ラヴェル、エド・ホワイト、トーマス・スタッフォードです。

NASAのビル・ネルソン長官は追悼声明文の中で、フランク・ボーマンのキャリアをこう説明。

フランクはアメリカ空軍の将校としてキャリアをスタート。彼の飛ぶことへの愛は戦闘機パイロット、作戦パイロット、テストパイロット、そしてアシスタント・プロフェッサーとしての地位にとって必要不可欠でした。彼の並外れた経験と専門知識によって、NASAは彼を第2期宇宙飛行士の一員に選んだのです。

ジェミニ7号

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Image: NASA

2度の宇宙飛行を経験したボーマンは、初飛行となった1965年のジェミニ7号で船長を務めています。

ジム・ラヴェルと搭乗したジェミニ7号は、当時の宇宙滞在記録である14日近い長時間飛行で有名でした。このミッションはその後のアポロ計画に向けて技術開発を手伝った、NASAのジェミニ計画の一環だったのです。

2つのジェミニ

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Image: NASA

この写真はジェミニ6号から撮影したジェミニ7号で、どちらも地表から257km上空を飛行中でした。

ウォーリー・シラーとトーマス・スタッフォードが搭乗したジェミニ6号は1965年の12月15日に、ジェミニ7号は12月4日にそれぞれ打ち上げられています。2つの宇宙船は軌道上でのランデブーに成功したのでした。

砂漠でのサバイバル訓練

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Image: NASA

1964年8月13日、ネバダ州にあるステッド空軍基地での砂漠サバイバル訓練中の(左から)フランク・ボーマン、ニール・アームストロング、ジョン・ヤング、ディーク・スレイトン。

アポロ8号のクルー

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Image: NASA

1968年11月、訓練中にアポロ・ミッション・シュミレーターの前でポーズを取るアポロ8号の乗組員たち。左からボーマン船長、ウィリアム・アンダース月着陸船操縦士、ジム・ラヴェル司令船操縦士。

「私たちを信じていますか?」

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Image: NASA

こちらはアポロ1号司令船の黒焦げになった内部を捉えた写真です。予行演習中の爆発出火で3名の宇宙飛行士、ガス・グリソム(2番目に宇宙飛行を経験した米国人)、エドワード・ホワイト(初めて宇宙遊泳を行なった米国人)、ロジャー・チャフィーが亡くなりました。

この惨事を調査するよう指示が出され、ボーマンは議会で証言することに。NASAの今後の安全対策について問われ、彼はこう答えました。

NASA、エンジニアリング、そして私たち自身を信じているとあなた方に伝えようとしているんです。問うべきは「あなた方は私たちを信じていますか?」ではないでしょうか。

月へと出発する時間

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Image: NASA

アポロ8号の打ち上げ前カウントダウン中に、ケネディ宇宙センターの有人宇宙船・オペレーション・ビルディングを発つアポロ8号のクルーたち。

打ち上げ

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Image: NASA

アポロ8号の乗組員を運ぶサターンV型ロケットは、1968年12月21日に打ち上げられました。このミッションで、同ロケットは初めて宇宙に人類を送るために使われたのです。その当時、サターンVは開発史上最も大きくてパワフルなロケットであり、アポロ計画の未来にとって有人ミッションでの成功が不可欠でした。この打ち上げが、やがて宇宙飛行士たちを月面着陸へと運ぶことになるロケットの信頼性と能力を実証したのです。

アポロ8号では地球から遠く離れての航行、通信、生命維持システムといった宇宙旅行における重要な側面もテストされていました。

アポロ8号とアルテミス2号は、似た性質のミッションです。クルー4名のアルテミス2号は、2024年後半にNASAのスペース・ローンチ・システム(SLS)ロケットで打ち上げ予定。アポロ計画以来初の有人月面着陸となるアルテミス3号に先駆けて、アポロ8号のように技術やシステムをテストするために月を周回することになっています。

宇宙でのボーマン

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Image: NASA

月を周回している間、宇宙船内で活動をしていたボーマンを捉えた1枚。この写真は船内の16㎜カメラで撮影した動画から作られました。

月面を通過した時の光景

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Image: NASA

1968年12月24日に撮影されたクレーターが並ぶ写真を含め、アポロ8号は目を見張るような月面の景色を撮っていました。

人類が初めてほかの天体を周回したアポロ8号は宇宙探査史における重要な出来事で、その成果がNASAの深宇宙航法と月面地理学の理解向上につながったのです。

乗組員たちは20時間のうちに月を10周しており、それが月へのミッションに必要な技術と戦略の重要なテストとして機能し、アポロ11号の月面着陸の下準備が進められました。

地球の出

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Image: NASA

1968年12月24日に撮影された「地球の出」の写真は、同ミッションのいつまでも色あせることのない光景であり、歴史上最もアイコニックな写真の1枚であり続けています。

アポロ8号の回収

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Image: NASA

先駆的な月周回ミッションを経て、空母ヨークタウンに着いた回収ヘリコプターの入り口に立つ姿を撮影されたアポロ8号のクルーたち。

司令船は1968年12月27日、ハワイから約1600km沖、太平洋に着水しました。

司令船

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Image: NASA

空母ヨークタウンに運ばれたアポロ8号司令船の写真。

このミッションの宇宙飛行士たちを回収したことは、宇宙探査における素晴らしい成果となりました。有人月面着陸への競争の中での大きなマイルストーン、初の有人月周回ミッションを締めくくったわけですからね。回収の成功は複雑な宇宙ミッションを実行するNASAの能力を実証し、その先の月探査への道を開きました。

真のパイオニア

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Image: Chris Radcliff/Flickr (Fair Use)

こちらは2008年12月10日にサンディエゴ航空宇宙博物館で開かれた、「Apollo 8 Gala」でのアポロ8号の宇宙飛行士たちの写真です。

1970年にNASAを退職したボーマンは航空へと関心を寄せて、その後はイースタン航空のCEOに就任。彼は市民そして慈善活動にも携わっていました。

ネルソン長官は前述の声明文にこんなコメントを寄せています。

フランクが「探検はまさに人間の精神の真髄だ」と言った時、探検が持つ人類を団結させる力を彼は分かっていたんです。

彼のNASAと国への貢献に、きっとアルテミス計画の世代は新たな宇宙の領域に到達したいと触発されるでしょう。

宇宙探査の歴史に名を刻んだボーマン氏のご冥福をお祈りします。

Source: NASA, NASA Space Science Data Coordinated Archive, NASA History Division, The Washington Post,