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ハコスカGT-R、ルート66ラリーを激走す

1972年以前に製造されたクラシックカーによるアメリカ大陸横断のラリーレイド、グレート・レース。25回目の記念大会となった今年はルート66を走る。チーム・ジャパン総勢8台、果たして完走なったか!?
全行程4000キロ、最高気温50度!超過酷なアメリカ・グレート・レース参戦記──ハコスカGTR、ルート66ラリーを激走す

Text: Jun Nishikawa
Photos: Kazuhiro Hayashi (Kind Company), Jun Nishikawa

9日間4000kmのラリーを終え、大歓声に出迎えられて、サンタモニカのフィッシャーマンズ・ワーフに無事ゴールしたハコスカGT-R。他のチーム・ジャパン7台もほぼ同じタイミングでゴール。参加台数130台中、完走は約100台だったから、100%完走のチーム・ジャパンは旧い日本車の優秀さも証明したカタチに。もちろん、乗員の忍耐強さも(?)。

「グレート・レース」と言っても、有名なコメディ映画の話じゃない。そういえばあの映画も、その昔ニューヨーク〜パリで行われた自動車レースをモチーフにしていたが、本リポートは、レースはレースでも、アメリカで毎年開催されている大陸横断(もしくは縦断)型クラシックカー・ラリーレイドの参戦記だ。

2015年の今年で25回目を迎える人気イベント。クラシックカー仲間から噂には聞いてはいたけれども、自分が参加することになるとは夢にも思っていなかった。日本でクラシックカー・ラリーといえば、まずイタリアのミッレ・ミリアに代表されるヨーロピアン・スタイルを思い浮かべる。事実、日本で行われているラリーはほぼすべてヨーロピアンで、アメリカン・スタイルのラリーなど縁遠い存在だと思っていた。

ヨーロピアンとアメリカン、その違いはおいおい明らかにするとして、まずは筆者が参戦に至った経緯から書き始めることにしよう。

話は、昨年の夏にさかのぼる。国内のとある有名クラシックカー・ラリーに参加していたボクは、旧知の写真家・林和宏さんからこんな相談を受けた。「ハコのスカイラインGT-Rでアメリカのグレート・レースに出てくれる人、いないかなぁ?」

林さんによれば、来年(つまりは今年)は25回を記念して、日本人にもお馴染みの“ヒストリック・ルート66”を舞台とする。そこで日本人×日本車のチーム・ジャパンを結成し出場しようじゃないか、という企画が持ち上がった。その時点で既にトヨタ2000GTや日産フェアレディZ432といった国産旧車オーナーが名乗りをあげていたが、映画の影響かアメリカで近頃人気のハコスカのエントリーだけがまだない。日本人としてはどうしても本物のハコスカ、それもできればGT-Rをアメリカのクルマ好きたちに見せてやりたいんだ、と林さんは言った。

グレート・レース、しかも日本人が日本車で参加するというコンセプトに惹かれたボクは、スーパーカーとクラシックカーの販売で有名なビンゴスポーツに数台のハコスカGT-Rの在庫があることを思い出し、その場で社長の武井真司氏に打診してみたところ、ふたつ返事でオッケーをいただいた。そんなこんなで、今年の6月中旬、最初期のGT-Rである69年式日産スカイライン2000GT-R(KGC10)と武井社長(=ドライバー)、そしてボク(=コドライバー)は、ビンゴレーシングのスタッフを伴って、ミズーリ州セントルイス郊外のカークウッドでグレート・レースのスタートを迎えた。

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1972年以前に製造されたクラシックカーのみがラリーに参加できる。ただし、ヨーロッパ型と違ってオリジナルかどうかなど細かいことにはこだわらない。今年は総勢130台がカークウッドに集まった。ルートは、ミズーリ州をスタートし、オクラホマ州、テキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を抜け、ゴールのカリフォルニア州サンタモニカまで、なんと約4000kmもの道のりを、9日間かけて走破する。何ともアメリカンな雄大さだ。ちなみに、イタリアのミッレ・ミリアは3日半で1600km。平均速度は速いが、日程も距離も短い。

ラリーレイドというだけあって競技もある。レギュラリティ・ランと呼ばれる“戦い”が1日に5〜7ステージ用意されていた。

ルールはいたってシンプルだ。毎朝渡されるコマ図に指定された速度で目印(たいていは道路標識や看板)と目印の間を、いかに正確な時間で走るか、を競う。頼るは、コマ図(簡略化したラリー専用地図)と、事前に配布されたマイル表示の公式スピードメーター、そして大きなアナログ時計のみ(ナビやスマホなど電子機器の使用は一切禁止されている)。発進や停止、カーブなどにおける加減速を考慮に入れつつ、指定された速度(25〜50mph)で走るわけだ。

ただし、コマ図には距離の表示がないので、次の目印がいつ出てきて指定速度が変わるのかが分からない。さらに、いつどこでタイムを計測されているのかも知らされていない。とにかくコマ図の指示に従って、指定速度で走り続ける。速度の切り替え指示ポイントは、数kmで現れることもあるし、150km以上出てこないこともあった。とてもシンプルなルールだが、それゆえ容易にのめり込めてしまう!

主に数十〜数百mの区間タイムを100分の1秒単位で争うヨーロピアンも刺激的だが、予想できない長い距離で正確な走りを争うアメリカンにもまた違う楽しみがある。

フラッグスタッフからレイク・ハバスへと向かうハコスカGT-R。飛行機の訓練で有名なこの地まで来ると、ゴールまであともうひと息。ようやくルールにも慣れ、競技の精度もあがってきた頃だったので、正直もっと走っていたいという気分に。実際、あともう2、3回競技できれば、順位アップはともかくも、エース(区間タイム誤差0)のひとつくらい狙えたと思う!

全体のルールも分かりはじめた2日目以降は2人とも超真剣モードに。普段はサーキットでコンマ1秒を詰める豪快ドライバーの武井社長が速度計をしっかと見つめてペダル・コントロールに徹すれば、ナビの筆者はコマ図と目印、下と前を見つめるのに必死という具合で、雄大なアメリカ南部の景色を楽しんでいる余裕など、ほぼなかった。わずかにリエゾン(移動)区間では辺りを見渡すこともできたのだが、それとて指定時間内での到着を考えると、ミス・コースは絶対できない。

そのうえ、南部の6月は酷暑だ。40度なんてまだまだ甘い。アリゾナ州の砂漠エリアでは気温が50度近くに跳ね上がり、水分が摂ったしりから蒸発する。クーラーがないから窓を全開に走っていると、ドライヤーのような熱風が吹き込みかえって暑い。窓を閉めた方がまだしも涼しい、なんてことを初経験した。

もちろん暑さはクルマにも大敵、なはずだが、我らがハコスカRはいたって快調。標高が高く空気が薄くなった場所でキャブ・エンジンの吹けが悪くなる、なんてことはあっても、音を上げる気配などまるでなし。高回転型エンジン+キャブ+マニュアル・ギアボックスという、一定低速で走る競技にはまるで不向きなクルマだったけれども、そこは何とかドライバーのテクニックでカバー。繊細で気難しいというイメージが一般的な初代GT-Rだが、S20エンジンは実際には丈夫で忍耐強く、そして逞しい。実に大和魂のあるクルマだと思えるようになった。60年代の日本人の、大志あるクルマ作りへの熱情を(猛暑のなか)しみじみと味わった気分である。

ランチやゴールのポイントにグレート・レース一行が到着すると、たちまちちょっとしたギャザリング・イベントになる。初めて見るハコスカに、みんな興味津々。トヨタ2000GTと並ぶ人気で、どこへ行ってもたちまちクルマ好きに囲まれた。

8台のチーム・ジャパンは揃って無事にサンタモニカへ辿り着く。実に壮快なエンディングに、参加者全員、笑顔に包まれた。