上村愛子さんのメンタル術とは?
2010年2月、メダルの有力候補として挑んだバンクーバー・オリンピックでは、4大会連続となる入賞を果たすも、悲願のメダル獲得はかなわなかった。このときに、上村愛子はモーグルの競技生活を続けるかどうか悩んだという。
「18歳で初めて出た長野オリンピックで、里谷(多英)さんが金メダルを獲られたんです。いつも一緒に練習している方の快挙を間近で見て、遠くない未来に自分でもできるんじゃないかと思いました。でもバンクーバーの後は、オリンピックは生半可な気持ちでは目指せないという思いもあって、引退を考えました。いっぽうで、モーグルという競技を辞める理由もはっきり見えていませんでした」
そこから上村は、モーグル競技からいったん離れる選択をする。復活を決めたきっかけは、2011年に震災の復興ボランティアで東北を訪れたことだった。
「震災の1カ月後ぐらいに友人のつてで東北に行きました。避難されている方に気を使わせちゃいけないと思って、モーグルの上村愛子だということは隠していたのですが、それでもみなさんに『いつも応援してるよ』『次のオリンピックもがんばってね』と声をかけてもらって、私のほうが励まされたんです。あのときに、スポーツ選手というのは自分の気持ちを言葉にしなくても、がんばっている姿から何かが伝わるというか、元気を与えられることに気づきました。幸いにも私には手術を必要とするような大きな怪我がなく、サポートしてもらえる環境も整っていて、だったらオリンピックで戦うためにチャレンジしてみようという気持ちになりました」
自らの力だけでは上げることができなかったモチベーションを、ファンからの声援によって確固たるものにすることができた─。ワールドカップで年間優勝を果たした上村ほどのアスリートであっても、メンタルを整えるうえで応援が大きな支えになる、ということだろう。
「注目されるということをプレッシャーに感じた時期もありましたが、みなさんからの応援は間違いなく背中を押してくれましたし、これだけ期待してもらえるということは、私がやるべきこと、できることの合わせ鏡だと思えるようになりました」
2013年に競技に復活した上村は、翌年のソチ・オリンピックで4位に入賞し、涙を流した。それは悔しさの涙ではなく、すべてをやりきったという達成感からのものだったという。
元スキー・モーグル選手
1979年生まれ、兵庫県出身。2歳のときに長野県へ転居。中学生でアルペンスキーからモーグルに転向する。2007-08シーズンはW杯で種目別年間優勝を遂げ、長野、ソルトレークシティ、トリノ、バンクーバー、ソチと、冬季オリンピックで5大会連続の入賞を果たした。