GQ Men of the Year 2012

戦いは終わらない──草間彌生(美術家)

ようやく時代が、草間彌生という天才に追いついたのかもしれない。欧米の著名な現代美術館を巡回した個展はことごとく大成功を収め、超一流ファッションブランaドともコラボレートする。けれどもこうした幸福な環境は、向こうから勝手に歩み寄ってきたわけではない。 現在の状況は、50年以上にわたる戦いによって彼女が勝ちとったものなのだ。まさに「GQ ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にふさわしい芸術家、草間彌生さんに、最近の充実した表現活動についてうかがった。
戦いは終わらない──草間彌生(美術家)

ようやく時代が、草間彌生という天才に追いついたのかもしれない。欧米の著名な現代美術館を巡回した個展はことごとく大成功を収め、超一流ファッションブランaドともコラボレートする。けれどもこうした幸福な環境は、向こうから勝手に歩み寄ってきたわけではない。

現在の状況は、50年以上にわたる戦いによって彼女が勝ちとったものなのだ。まさに「GQ ウーマン・オブ・ザ・イヤー」にふさわしい芸術家、草間彌生さんに、最近の充実した表現活動についてうかがった。

写真:Maciej Kucia(AVGVST) 文:サトータケシ

「KUSAMA」の作品が世界の芸術家を鼓舞する

2011年から12年にかけて、「Yayoi Kusama」が欧米を駆け抜けた。11年5月、草間さんの巡回回顧展は、ピカソの『ゲルニカ』を収蔵することで知られるマドリードの国立ソフィア王妃芸術センターで始まった。その後、パリのポンピドゥー・センター、ロンドンのテート・モダン、そしてニューヨークのホイットニー美術館と、現代アートを代表する美術館を回り、いずれも大成功を収めたのだ。

なかでも、ホイットニー美術館にたくさんの来場者があったことは感慨深かったという。穏やかに晴れた秋の日、東京のアトリエのテーブルに向かって腰かける草間さんの瞳が、ふっと遠くを見る。

「私はニューヨークへ行くことに深い憧れを抱いており、1957年に単身アメリカのシアトルへ渡りました。このときに実家から勘当され、母からは二度と敷居をまたがないでほしいと言われたのです。翌年ニューヨークへ移ったときにはエンパイアステートビルに登り、大きな街を見下ろして精神的に鼓舞されました。いつか世界の中心のひとつであるこの場所で、自分の芸術や思想で勝負すると誓ったのです」

食べる物にも困る暮らしだったけれど、芸術活動で勝負するという意志は揺るがなかった。

「部屋にはベッドもないの。外から拾ってきた木の枠をベッド代わりにしたのを覚えているわ。食べ物といえば魚を焼いて、その頭で作ったスープぐらい。パンはないものだからレストランの前で拾ってきて食べて─。毎日3時間ぐらいしか寝ないで絵を描きまくったんです」

ある日、草間さんは世界的に有名なホイットニー美術館でコンペティションが行われることを知る。

「樺太のように寒い部屋で3日も飲まず食わずで描いて、食べる物といえば栗が3つか4つしかなくて。私はうんと重い絵をかついで─なぜならトラックを手配するお金がなかったので─、風が強くて作品と私の体まで舞い上がりました。私は勝ちたいと思っていましたが、全部落ちちゃったんですね。部屋へ帰ったときには、1週間も起き上がれないほどに疲れ切っていました」

そのホイットニー美術館で行われた展覧会のオープニングにスタンディングオベーションで迎えられた草間さんは、言葉では言い表せないほど深く感動したという。54年前のエンパイアステートビルでの誓いを、見事に果たしたのだ。

これだけでも十分以上に「GQウーマン・オブ・ザ・イヤー2012」に値するけれど、12年の草間さんはさらにパワフルだった。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションで「ルイ・ヴィトン ヤヨイ・クサマ コレクション」を発表したのだ。ニューヨーク5番街のメゾンの外観を水玉のモチーフが覆ったほか、世界の450店舗のウインドウに草間作品とコラボ商品が並んだ。

この夢の組み合わせが実現したのは、ルイ・ヴィトンのアーティスティック・ディレクターを務めるマーク・ジェイコブスが草間さんの大ファンだったからだ。

「2006年のある日、ジェイコブスさんが私のアトリエを訪ねて来られたのです。ジェイコブスさんは私の作品や活動を尊敬してくださっていました」

ほら、ジェイコブスさんがお見えになったときの写真あるかしら、とスタッフにかける声が明るい。

草間さんはこれまでにも何度かファッションの仕事をなさっている。ハンドバッグや洋服をデザインすることは、絵画や彫刻といった表現活動と同じなのだろうか、それとも違うのだろうか。そう尋ねると、草間さんは小さくうなずいた。

「絵だとか彫刻だとかと区別するのではなく、ハンドバッグにも思想とメッセージを込めています。縫い物ではなく、思想が入った、世界に対するメッセージだと思っています」

メッセージとは、具体的にはどのようなものでしょうか?

「私は、平和や、宇宙の神秘に対する憧憬などを表したいと思って努力してまいりました─」

少し間があくけれど、言葉を差し挟むのがはばかられる雰囲気だ。アトリエはしんと静まり返っている。

「いま、ものすごくたくさんの絵を描いているの。自分は人生で一番大事な時期に差しかかっている。世界中の美術館が草間展をやりたいとおっしゃってくれるし、ものすごくたくさんの人が私の作品を待っています。そういった期待に対して、私の作品を見ていただきたいと誠実に思っています。私はただの絵描きでなく、芸術を武器として戦う人生を歩んできたのです」

草間さんのアトリエには多いときは毎週のように国内外のメディアから取材・撮影申し込みがあり、スタッフはつねにそれらの対応や次の展覧会の準備に追われているという。

「私はモノクロームをやり、鏡を使ったインスタレーションをやり、小説を書き、ミュージカルを演出し、彫刻を作り、ハプニングもやりました。こうした作品が世界中の美術館に展示されることで、多くの芸術家たちが励まされたと言ってくれます」

ここで、先ほど話にあがったジェイコブスさんとのツーショットの写真が草間さんに手渡される。写真を拝見したところで、そろそろ約束の時間だ。時間を割いてくださったことにお礼を言う。2階のアトリエから1階の出口へ通じる階段を下りていると、草間さんとスタッフとのやりとりが聞こえた。

「これから作品制作でよろしいですか」「はい」

草間彌生さんの戦いは、ますます加速している。