正面に見えるのが田ノ浦海岸。生物多様性の宝庫であり、新規の原発建設計画地でもある。祝島より、2010年10月撮影。 撮影:東条雅之

2023年の8月2日、中国電力が、現在原発の建設を予定している山口県上関町に、使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設を検討することを発表しました。山口県の南東部、瀬戸内海に向かって伸びる室津半島のその先、長島の南端に多様な生態系を守り育む内海、田ノ浦が広がります。「奇跡の海」とも呼ばれる田ノ浦を有する上関町は、いま日本唯一の原発の新規建設計画地です。

▼この記事を読むとわかること

> 41年、海を守るために続いた抵抗
> 「みんなの海じゃ!」田ノ浦の豊かな自然と暮らす
> 町に分断をもたらしたものの正体
> 原発ではなくいのちのために

41年、海を守るために続いた抵抗

中国電力ウェブサイトより

山口県熊毛郡上関町に原発建設計画が浮上してから、41年の月日が流れました。しかし、この場所にはまだ原発は建てられていません。豊かな自然を守ろうとする地元の人々の粘り強い反対運動があったからです。埋め立て計画地の3.5キロ沖に浮かぶ祝島では、建設計画が持ち上がって以来、原発反対の抗議運動が行われてきました。その間にはチョルノービリ(チェルノブイリ)の原発事故、そして福島第一原発の事故がありました。

「海を売ってはおりません」。海とともに生きてきた祝島の女性が中国電力の社員に訴える。祝島では(約10億8千万円の)漁業補償金の受け取りを反対多数で拒み続けてきた。2009年10月撮影。 撮影:東条雅之

上関町に原発建設の計画があることが明らかになったのは1982年の6月29日のことです。現在2248人の有権者が暮らす上関町には、当時約6900人の町民が住んでいました。計画が表明されてから5カ月後、原発建設予定地の目の前に浮かぶハート型の小さな島、祝島で原発に反対するデモが始まります。

祝島には、出稼ぎで福島や美浜の原発で働いたことのある人たちが暮らしていました。計画が浮上してすぐ、彼らが島の家々をまわって原発の危険性を語っていたため、島民は早い段階で原発に反対するようになっていたのです。

準備工事に対して座り込んで意思表示をする祝島の女性たち。普段は明るく和やかな雰囲気が場を包む。2009年9月撮影。 撮影:東条雅之

そのうちに、島の女性たちが口々に「原発はいらん!」と声を上げながら島の道を歩きはじめました。歩いていると「それはデモというものだから許可を取らなければならない」と言う人がいて、女性たちは言われた通りにデモの許可を取り、そこから毎週月曜日の反原発デモが始まったといいます(2)。祝島のデモはこれまでに1300回以上も行われてきました(3)。

こうして祝島では、子育てに奮闘し、漁や農業にいそしむ「おばちゃん」や「おじちゃん※」たちによる抗議運動が長年続けられてきたのです。

海の埋め立て工事の台船が来る度に仕事の手を止め、旗を立てて抗議に向かう祝島の漁師さん。2011年1月撮影。 撮影:東条雅之

運動は日本全土から賛同者を集めました。

公有水面埋め立ての許可失効を前に、工事を急ぐ中国電力が工事台船を出すなど、激しい攻防があった2009年から2011年(東日本大震災と福島原発事故まで)にかけては、県内外から多い時で約150人が集まり、海上でも若者たちのシーカヤックが祝島の漁船とともに、時には主体となって阻止行動を行っていたこともあったほどです。

今、上関本土と同様に過疎化、高齢化が進む祝島では、反対運動が始まった当時約1100人いた島民も約300人にまで減っています。

※祝島では高齢の島民をいくつになっても「おばちゃん」「おじちゃん」と呼び親しむ習慣がある。

「みんなの海じゃ!」田ノ浦の豊かな自然と暮らす

田ノ浦の海周辺で鯛を釣り上げる祝島の漁師さん。この海によって生かされてきたと言う。2009年11月撮影。 撮影:東条雅之

日本最大の内海、瀬戸内海の中でも、類を見ないほどの生物多様性を残す田ノ浦。海岸の目の前にある山々から栄養たっぷりの水が注ぎ込み、内海の閉鎖性が豊穣な海水を抱きかかえている田ノ浦には、天然記念物のカンムリウミスズメをはじめ、絶滅が危惧されるナメクジウオ、珍しい貝類、水産庁カテゴリーで希少種に分類されるスナメリ、準絶滅危惧種のカラスバトなど、希少な生き物がたくさん生息しています(4)。

田ノ浦の海の中に広がる海藻の森では多様な小さな命が育まれている。2010年3月撮影。 撮影:東条雅之

これまで多数の研究者が幾度となく田ノ浦の生物生息地としての重要性を指摘してきました。

発電量の約2倍のエネルギーを7度も温められた水で「廃熱」として海に捨てる仕組みの原発ができてしまえば、その影響で生き残れなくなる生き物は多いでしょう。

原子炉に取水された海水は炉内に海藻が生えないように殺生物剤を混ぜてから排水されるので、原発は海水温度だけでなく水質も変えてしまいます。

また、一度事故が起これば、生物を育むのに有利に働いてきた内海の閉鎖性は放射能を前に大きなリスクへと変わります。

祖父と父と一緒に築いた棚田で稲の種をまく祝島島民。2012年4月撮影。 撮影:東条雅之

この場所に原発が建設されれば、壊されることになるのは世界に誇る生物多様性の宝庫です。建設に反対する人々に漁師さんや農家さんなど、自然に接して暮らす人々が多かったことは決して偶然ではありません。

島内で集められた生ごみを餌に、循環型の放牧による養豚を行う島民。2009年4月撮影。 撮影:東条雅之

自然の大切さをよく知っている地元の人たちの必死の反対運動があったからこそ、田ノ浦は絶体絶命の危機を幾度も乗り越えて、現在の姿で残されているのです。

町に分断をもたらしたものの正体

田ノ浦(原発計画地)の海。対岸には祝島の集落が見える。2010年7月撮影。 撮影:東条雅之

上関は今も、新たに持ち上がった中間貯蔵施設の建設計画をめぐって揺れています。推進派と反対派の対決構図のように見えるかもしれないこの状況ですが、実は福島第一原発の事故後、上関の町民たちは原子力財源に頼らないまちづくりに協力しあってきたのです。

この状況を一転させたのは政府のエネルギー政策転換でした。

未だ解決すらしていない多くの被害をもたらした福島原発事故から11年。岸田政権は、事故の教訓を破り捨てるように、再稼働に加えて、増設や運転期間の延長と、原子力推進回帰へと舵を切りました。原発利権との決別の道の半ばにあった上関町は、またしても波間に浮く小船のように揺さぶられています。

原発ではなくいのちのために

全国から「原発ではなくいのちの海を」等のメッセージが届けられた。2009年10月撮影。 撮影:東条雅之

この町に住む30代以下の若者たちは原発建設の是非を問われる町の姿しか知りません。生活を人質に取るような残酷な問いかけは、ご近所同士や仕事の仲間、親子や兄弟の間にさえ、埋めがたい溝を生んだといいます。しかし、本来であれば「原発を受け入れるのか、受け入れないのか」という問いは、日本に住み、電気を使って暮らす私たちみんなで答えを出さなければならないはずの問題です。

原発は自然を破壊し、行き場のない核のゴミを出し、事故を起こせば取り返しのつかない汚染を招きます。そして、建設の計画自体が白羽の矢を立てられたその地の人々に無用の対立を強いて、傷つけ、疲弊させます。上関町に押し付けられている過酷な選択は基地建設と同様の差別の構造です。

国の原子力政策、そして原発と中間貯蔵施設の建設計画の是非を問われているのは私たち全員です。私たち一人一人が意思表示をしなければなりません。上関という小さな町に犠牲を払わせ続ける建設計画、それを進める国と電力会社に向けて声を上げましょう。


写真:東条雅之
https://inorinoumi.jimdofree.com/

協力:みんなの選挙だ!分断を引き継がない上関町長・町議選挙の輪

参考:
いらんじゃろう!上関原発2022~人も自然も生きものも~オンライントーク

OurPlanet-TV
「もう原発はいらない」上関原発予定地からの報告(3月28日)

出典:
※1:https://www.yab.co.jp/news-list/202210091900
※2:http://www.magazine9.jp/article/womens/14615/
※3:https://www.asahi.com/articles/ASL5H4FKJL5HTZNB00M.html
※4:https://umino-npo.com/post_14/
※5:https://www.asahi.com/articles/ASQB962PJQB9TZNB00F.html