ITmedia NEWS > 企業・業界動向 >

BIOSからUEFIへ BIOSはなぜ終わらなければならなかったのか“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(2/4 ページ)

» 2022年02月24日 07時00分 公開
[大原雄介ITmedia]

1MBメモリ制限

 ただこれ、BIOSを作る側のベンダーにとっても苦行であった。もう二昔前のゲーム作成と同じで、BIOSコードの容量をBytes単位で計算しながらロジックを組み込む必要があり、当然高級言語なんぞ使ってプログラミングできるはずもなく、フルアセンブラでの実装となる。あるメーカーが(BIOSメーカーからライセンスを受けたうえで)自分でカスタマイズしたいと思っても、それが可能なスキルを持ったエンジニアはBIOSメーカーにしかいない(だからカスタマイズも頼むしかない)という状況が長らく続いていた。

 その一方でBIOSに求められる機能はどんどん増えており、使い勝手の向上と併せて要求がますます厳しくなっており、そろそろBIOSそのものの構造を考え直す必要が出て来た。

 似た話が、PC以外のマーケットでも発生した。以前、PReP/CHRPの話を紹介したが、PowerPCベースの“PC”を作るにあたっては、システムの初期化やOSのロード、必要なら設定のカスタマイズなどを行うための仕組みが必要であり、PReP/CHRPはこれをOpen Firmwareを利用することで解決したが、この1994年〜1997年というタイムフレームで、Intelはもう一つ厄介な案件を抱えていた。要するにItaniumだ。

 Itanium初代(Merced)は最終的に商品とせず開発用プラットフォームとして2001年にリリースされるが、CPUの完成を待ってからシステムを作り始めたら遅くなりすぎるので、CPUの設計と並行してシステムの構築にも当然取り掛かることになる。ItaniumではUNIX(HP-UX)以外にWindowsやLinux、のちにはこれに加えてVMSやACOSなど全く異なるOSも稼働することになっており、そのために「複数のOSをブートできる汎用の仕組み」が必要になった。

 これに向けてIntelとHPが開発していたのがEFI(Extensible Firmware Interface)である。「なんでHPが?」というと、そもそもItaniumがIntelとHPの共同開発のCPUだからという話である。

 Itaniumの場合、そもそもReal Modeもへったくれもないし、システムの構造がIBM PCやAT互換機と全く異なる。そこでBIOSの代わりになるものとして開発されたのがEFIである。

 写真2は2002年春のIDFにおけるスライドである。

photo 写真2:ここまで説明したような話が全部1枚のスライドにまとまっている。

 まだこの時点ではUEFIではなくEFIであるが、それでも単にItaniumに向けてのBIOS(というか、初期化ロジック)だけでなく、将来的にはPCにも対応させることを目的としていることが読み取れるかと思う。

 このPCも念頭に置いている、という話はこちらのコンセプト図(写真3)からも読み取れる。

photo 写真3:現在のUEFIとは少し構成が異なっている(現在はBIOS互換モードを持つが、基本的にBIOSそのものがない)

 Itaniumの場合、基本的にLegacy OSが存在しない(x86モードを持つという話ではあったが、別にx86ベースのOSがそのまま動くという話ではない)から、PCなどへの応用を考えなければそもそもLegacy OS LOADERなんてものが入り込む余地がないためだ。この時点でEFIは、もし存在すればBIOSの上に載る形で実装される予定であった。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.