追悼2013 写真特集

江副浩正氏

 リクルート(現リクルートホールディングス)を創業して情報産業の分野で一大企業に発展させた一方、政治家らに値上がり確実な未公開株を配った「リクルート事件」で有罪が確定した元リクルート会長江副浩正(えぞえ・ひろまさ)氏が2月8日午後3時20分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。76歳だった。
 江副氏は大阪市出身。東京大在学中に全国大学新聞の広告を手掛け、1960年の卒業と同時にリクルートの前身、大学新聞広告社を設立し、社長に就任した。63年に社名を「日本リクルートセンター」に、84年には「リクルート」に改称し、「とらばーゆ」「フロムエー」などの就職情報誌を次々とヒットさせた。急成長ぶりから「情報化時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれた。
 88年には会長に就任したが、グループ企業リクルートコスモスの未公開株が川崎市助役に渡っていたことが発覚したのをきっかけに、当時首相だった故竹下登氏を始め、政官財界に幅広く配られていたことも判明。竹下内閣は89年、総辞職に追い込まれた。東京地検特捜部が捜査に乗り出し、労働省、文部省、政界、NTTの4ルートで収賄側8人と贈賄側4人の計12人を起訴した。全員の有罪が確定し、戦後日本でロッキード事件と並ぶ疑獄事件となった。
 江副氏は起訴内容を全面否認し、調書の信用性をめぐって徹底抗戦。初公判から13年余りを経て2003年3月に東京地裁で懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受けた。検察側、弁護側とも控訴せず確定。09年には事件を振り返った著書を出版し、取り調べの全面可視化を訴えた。
 事件後は財団法人「江副育英会」の理事長となり、趣味のオペラなどさまざまな分野で若手の育成に努めた。(2010年04月06日) 【時事通信社】

関連記事

キャプションの内容は配信当時のものです

写真特集

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ