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30年前も今も「負けたくない」 スキージャンプの葛西紀明選手【平成インタビュー】

悔しい思いした長野五輪

 ノルディックスキー・ジャンプ男子で45歳の今も飛び続ける「レジェンド」、葛西紀明選手に平成の思い出をたどってもらった。

 ―平成になった頃の思い出で印象に残るのは。

 やっぱり(1989年2月の)世界選手権に出たこと。(当時の名選手の)ニッカネンとかバイスフロクがいたので、その中で初めて戦えた。やっぱり世界は強いなと思わせられた初めての時だった。

 ―憧れていたニッカネンの印象は。

 飛べば勝つっていう、そういう人だった。すごいなあとしか見ていなかった。

 ―当時はどんな夢や目標を持っていたのか。

 レベルの差が歴然としていた。絶対、世界のトップに行ってやろうという気持ちでいた。ワクワクはしていた。どれくらい強くなるんだろうって。

 ―19歳だった92年3月、ハラホフ(当時チェコスロバキア、現チェコ)でフライング世界選手権を兼ねたワールドカップ(W杯)でW杯初優勝を遂げた。

 本当にうれしかった。V字をやったばかりで、うまく飛べた。(自宅に知らせる)国際電話がつながりにくかったし、高かった。しつこく4、5回くらいかけたような気がする。うれしさを伝えたくて。

 ―長いキャリアの中でも印象深いか。

 全部鮮明に覚えている。(本番前に)原田雅彦さんとアルペンを滑りに行った。直滑降をして、(スキーを)ハの字にしたら全然(ブレーキが)利かない。スピードがついたまま、足に乳酸がたまってきて耐えられない感じになって。転んだらやばいし、木にぶつかったら死ぬと。何とか最後の気力を振り絞って止まった。原田さんも「助けてー」と言いながら滑って。そのおかげで、怖さがなくフライングヒルが飛べた。

 ―94年のリレハンメル五輪では、団体で原田選手が失敗して銀メダルだった。

 (金メダルを)ほぼ手中にしていたのが逃げた。あんなに大差がついていたのに、引っ繰り返されるんだと。どんなにポイント差が離れていても油断はないように、引き締める気持ちになった大会だった。

 ―98年長野五輪では、金メダルを獲得した団体のメンバーから外れるショックを味わった。

 相当悔しい思いをして、何年も引きずった。(銀メダルを獲得した2014年の)ソチ五輪で何とか悔しさが減った感じはあったけど、あの4人が(金メダルを)取れたのだから俺が取れないわけはない。そういう気持ちで今もやっている。

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