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コラム:松田直樹選手の死に寄せて
 スポーツ千夜一夜

2002年ワールドカップのロシア戦に臨んだ松田直樹さん。日本はこの試合で記念すべきW杯初勝利をつかんだ。松田さんは闘志あふれる守備で完封勝利に貢献した=2002年6月9日、横浜【時事通信社】

 サッカーの日本代表DFとして40試合に出場し、横浜Fマリノスの主力として長く活躍した松田直樹選手(34)が4日、亡くなった。2日、現在所属する日本フットボールリーグ(JFL)、松本山雅の合同練習中に急性心筋梗塞のため倒れてわずか2日。ついに松田選手の意識が戻ることはなかった。

 強健者と言える現役サッカー選手の突然の死は、あまりにショッキングだ。昨年、横浜Mを戦力外となり、長野県のチームを新天地に選んだ。「長野のサッカーを盛り上げ、このチームを、J2、そしてJ1に昇格させたい」。新たなモチベーションを胸に、夢を描く地方チームを引っ張っていた中、34歳にして前途を断たれた。その無念な思いは想像に難くない。ご親族や同僚、関係者の悲しみの深さは察するにあまりある。ただただご冥福をお祈りするばかりだ。

 とにかく屈強なディフェンダーだったという印象が強い。体格に優れる外国選手にも果敢に対峙(たいじ)。臆することなく、正面から競り合ったファイターだった。チームが劣勢で試合終盤を迎えたときなど、思い切りよく攻め上がり、闘志むき出しで相手ゴール前にラッシュしていた姿なども思い出される。

 1996年アトランタ五輪では、ブラジルを1-0で破る「マイアミの奇跡」に参画。相次ぐ好守を見せたGK川口能活らとともに波乱の勝利に大きく貢献した。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)では日本が戦った全4試合にフル出場。トルシエ監督の戦術だった3人の守備ライン「フラット3」の右サイドに入り、ロシア戦、チュニジア戦では完封勝利を果たしている。

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