トヨタ自動車が展開する高級ブランド「レクサス」のトップ、プレジデントに群馬県富岡市出身で群馬高専卒の渡辺剛さん(51)が就任した。トヨタの社内カンパニーでプレジデントに高専出身者が就くのは初。レクサスは全車を電気自動車(EV)にしていく転換期にあり、電動化の陣頭指揮を執ってきた渡辺さんに白羽の矢が立った。いかにしてトップに上り詰め、脱炭素社会にどう立ち向かうのか―。インタビューで迫った。

レクサスのプレジデントに就任した渡辺さん

―プレジデントへの就任は、豊田章男前社長から告げられた。

 1月26日に豊田前社長の退任が発表された際、新幹線でそのニュースを見た。なぜ新幹線に乗っていたかというと、27日に社長から話があると聞かされ、東京に向かっていたからだ。この状況で呼ばれた私は何なのだろうとドキドキしながら社長に会うと、「次のレクサスのプレジデント、渡辺君にお願いするから」と。

―どう思った。

 全く予想しておらず、驚きしかなかった。社長から言われたのは「みんなを笑顔にするレクサスを作ってくれ」の一言だった。笑顔や喜びを伝えたい一心で車づくりをしてきた。プレジデントだからといって何か特別なことをするのではなく、レクサスの車づくりをいかに継承して、進化させていくのかに注力していけばいいのだと思えて、本当にありがたい言葉だった。

―車に興味を持ったきっかけは。

 幼少期はスーパーカーブームの全盛期だった。高崎スズランの屋上にランボルギーニやロータスといったスーパーカーが展示され、親に頼んでよく見に行った。父が免許を持っていなかったので家に車はなかったが、父の友人らがマツダ「サバンナ」や日産「フェアレディZ」でドライブに連れて行ってくれた。刺激的な車ばかりで、車への憧れがどんどん強くなった。どうすれば車に関わる仕事ができるのかを考えて、群馬高専に進学した。

―群馬高専での学校生活は

 機械工学を専攻し、卒業研究ではディーゼルエンジンのパーティキュレート・マター(PM=排気中に含まれるすす)を計測する手法をテーマとした。エンジンをばらして、混合気(空気と燃料が混ざったもの)の状態を変えると排気がどう変わり、フィルターでどう捉えて計測するかという一連の手法を研究した。

―印象に残っている出来事は

 高専は自由な校風で、まず制服がない。やることをやれば、あとは自由に過ごせる。15、16歳くらいから親元を離れ、自分で決めていろいろなことを経験できた。アルバイトもしたし、学生寮では上下関係を学んだ。車の免許は18歳の誕生日に合わせて取得し、妙義山や碓氷峠を走った。すごく濃い5年間だった。

群馬高専に在学していた頃の渡辺さん

20年かけ念願の車両企画へ

―トヨタ自動車に入社した経緯は

 大学編入も考えたが、早く車づくりがしたかった。幸いにも各自動車メーカーから求人があり、就職を決めた。先生から「選択肢があるならまずは最大手に行くべき」との助言をもらい、トヨタ自動車を選んだ。卒業した翌年から就職氷河期に入っていったので、すごくラッキーだった。

 入社後の研修で、(車両開発を統括する)チーフエンジニア(CE)制度という存在を知った。CEに各セクションがぶら下がって一つの車を開発していく仕組みで、生意気ながら将来はCEになると固く決心した。

―配属されたのは、計測設備を開発する間接的な部門だった

 希望は車両全般の設計を担う部門で出したが、かなわなかった。エンジンの先行開発を手がける東富士研究所(静岡県)に配属され、排ガスを計測する設備の開発を担当することになった。正直、これは困ったと思った。...