樋口一葉は1893(明治26)年7月~翌年4月、下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉)に暮らした。戸主として家族を養うために小説家となったが、出版社から求められた作品が書けず一家は困窮。まずは生活を安定させようと、新吉原の遊郭に近いこの地で荒物や駄菓子を売る店を営んだ。
店では、主に一葉が仕入れを、妹・くにが店番を担当した。今回の展示資料に、一葉の遺(のこ)した「仕入(しいれ)帳」(山梨県立文学館蔵)がある。品名のほか、仕入れ値や個数、日付を簡潔に記したものだが、初めての商いに試行錯誤した様子もうかがえる。開店当初は織物の糊(のり)付けや洗髪に用いる「ふのり」や、香料といった日用品の仕入れが多かったが、売れ行きが良くなかったのか、徐々に菓子や「めんこ」などの玩具の仕入れが目立つようになっていく。
店にやって来るのは、子どもら「五厘六厘の客」が中心だった。客のにぎやかな声は、障子一枚隔てた部屋で読書や執筆をする一葉にもよく聞こえたらしい。
こうした小さな客を見込んでか、氏神・千束稲荷神社の夏祭りの際には、仕入帳に「そめ麻」や「犬張子(はりこ)」、「達磨(だるま)人形」の記述がみえる。一葉の代表作「たけくらべ」の中で、祭りのために着飾った子どもたちについて「口なし染の麻だすき、なるほど太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨、木兎(みみずく)、犬はり子、さまざまの手遊(おもちゃ)を数多きほど見得にして、七つ九つ十一つくるもあり……」と描写された場面が思い出される。
一葉は、この頃の暮らしを「塵(ちり)の中」と呼んだ。そこには、社会の底辺ともいえる環境に身を落としたことに対する、複雑な感情も込められている。必ずしも町になじんだわけではなかったようだが、商売生活を通して、貧しくも懸命に生きる人々の姿をつぶさに見つめていった。
商いはすぐに行き詰まり、開店から9カ月ほどで廃業する。それでも「塵の中」の体験を経て、一葉は確実に現実認識を深めていた。まもなく一葉文学は成熟の時を迎え、「たけくらべ」「にごりえ」といった名作の数々を生み出すことになる。
神奈川近代文学館 樋口一葉展(下)「塵の中」の商売生活
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一葉が商いで使った「仕入帳」(山梨県立文学館蔵)。「犬張子」「そめ麻」の記録がある [写真番号:878877]
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「たけくらべ」未定稿(「雛鳥」) 山梨県立文学館蔵 [写真番号:879380]