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北四番丁通信

 

「北四番丁通信」とは、仙台教会で日曜日ごとに発行している「週報」の巻頭言です。牧師および複数の教会員が執筆を担当しています。

当教会は1955年に仙台市の北四番丁沿い・旧奥州街道近くに設立されましたが、「北四番丁」という地名は、400年以上も前に城下町が造られた当初からの由緒ある地名で、江戸時代は武家屋敷が連なっていた地域でした。

歴史の流れと共に町並みも住む人々もどんどん変わっていきますが、いつの世においても変わることのない真理の言葉を、仙台教会に許されている時間の中で、たゆむことなく宣べ伝えていきたいと私たちは願っています。

57年前の週報と再会して

2024年4月28日 小林孝男(教会員)

 先日、私にとっては大変貴重な日の週報と再会しました。それは1967年12月24日(日)の週報です。礼拝次第の中に、その日受浸する5名の名前が記されていましたが、その内の一人が私でした。但し私は当日の朝になって、教会の前庭の掃き掃除をしていた天野五郎牧師に、「今日は受けません!」と唐突に宣言し、バプテスマを受けませんでした。受浸拒否の理由は前週の主の晩餐にありました。パンを取ろうとした私に配餐係が、「あなたはバプテスマを受けていないから駄目です」と語り、パンと杯を取らせてくれなかったのです。強烈な疎外感を感じると同時に、その配餐係の一言で色々な疑問が一瞬のうちに沸き上がってきました。信仰とはバプテスマを受けることによって与えられるものなのか? 信じたからこそバプテスマを受けるのではないのだろうか? 信じているのにどうして主の晩餐にあずかれないのだろうか? 他人にいともたやすく否定されてしまう私の信仰とは、いったい何なのだろうか? いま思うとなかなか「神学的」な疑問です。

 あれから57年、高校2年の冬のあの体験は、私の信仰の原点になっている気がします。現在、時折り仙台教会や他の教会で主の晩餐の執行を委託されることがありますが、司式の際は「今、イエス・キリストをご自分の救い主と信じておられる方は、どなたでも結構ですのでパンと杯をお取りください」と宣言しています。大切なことは信仰をもってパンと杯にあずかることです。パンと杯を受けていいかどうかの判断は、この教会の会員かどうかや、バプテスマを受けているかどうかによるのではなく、ましてや配餐係が判断することでもなく、主の前で各自が決断すべきことであると私は信じます。

 同じ教会に属している私たちの信仰も、細部まで吟味すれば一致できない点がきっと出てくるでしょう。私たちの信仰は洗脳によるのではないので、それは致し方ないことです。その中でそれぞれの違いを大きく包み込み、共に歩むことを可能にしているのが、十字架で示された主の愛です。主の晩餐にあずかる毎に主の愛に繰り返し立ち返らせていただき、今年度も共に信仰の道を歩んでまいりましょう。

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