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ゼネコン6社、札幌建設業協会を一斉退会、談合疑惑回避狙う?(日経ナビ2008-日経産業新聞)
鹿島「経費削減の一環」
【札幌】鹿島、清水建設などゼネコン(総合建設会社)六社が三月 末に札幌建設業協会(伊藤義郎会 長)から一斉に退会したことが憶 測を呼んでいる。全国で談合摘発 が相次ぐ中、疑惑を避ける狙いと みられるが、これに対し、伊藤会 長は「協会は会員に法令順守を求 めており、談合とは全く関連がな い」と強く反発している。/他に退会したのは大成建設、大林 組、竹中工務店と青木あすなろ建 設。一方、四月に道内企業を中心 に三十三社が新規加盟した。/伊藤会長は、環境対策や災害復旧 に連携して取り組むなど協会の意 義を強調。慰留にかかわらず退会 した六社は「当地で建設業を営む 企業の義務を果たしていない」と 批判する。/鹿島は「経費削減の観点で毎年( 加盟の是非を)見直しており、今 回もその一環で(退会を)決めた 」と説明している。
マスコミの思考停止
なんでも「談合」に収斂させてしまうのは、マスコミの思考停止のようなもので、特に日経関係はこの傾向が強い。それが脊髄反射的な「反公共工事」意識を国民に植え付けてしまっているわけで、しかしそれがかかえる問題はじつは大きいのであり、本来なら経済紙らしくもう少し掘り下げてくれれば、と思うのだけれども、ぜんぜんダメである――ことで、この国の反公共事業、談合アレルギーは再生産され続けている。
ここに一枚の図を示そう。
公共事業の2つの目的とルール
これはかつて、CALS/ECがマーケット・ソリューション(市場中心主義)の担い手であり、その狙いは、開発主義的な、自治体-地場型ゼネコンという構造をもつ公共事業を、国交省-大手への開放することである、ということを説明するために用いた図である。――だからCALS/ECは大手(土工協)中心に推進されているのだ、と。
それは(私にとっては)5、6年前のはなしであって、今は昔話にしか過ぎないが、その昔話が、今をつくっている、のは当然のことだ。
その頃は、公共工事の目的とルールを、次の2つに大分類することができた。
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「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的
→配分を重視したルール(ヒエラルキー・ソリューション) -
「必要なものをより良くより安くより早く公正に」に調達するという目的
→効率的な社会資本整備
→マーケット・メカニズムを重視したルール(マーケット・ソリューション)
このふたつのルールのシェアは、圧倒的に、配分を重視したルール(配分のルール)が大きかった(自治体発注の工事は公共事業全体の発注件数で9割、金額で7割を占めていた)のは当然で、なぜなら当時は、まだ開発主義(の残像)※1が、この国の公共事業のルールを支配していたからだ。
――のであれば、大手ゼネコンは、地元の建設業協会に加入することで、このルールからの配分を受けようとするのは、経済合理的に当然のことでしかない。つまり大手も建設業協会に参加したのは、「経済合理的」というに過ぎないのであり、それを問題にした新聞(マスコミ)はあったのだろうか。
大手ゼネコンの締め出し
今回の記事は、協会からの離脱を、談合疑惑回避狙う?としているが、大手ゼネコンの地元建設業協会離れは、今に始まったことではない。(札幌は遅いぐらいであるし、そもそも大手が参加できない協会も多かったのは、ルールから見れば当然のことでしかないだろう)。
大手の地方協会からの離脱は、4、5年前から目だった動きになっていたはずだ。しかしそれは、共事業が減少していく中で、「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的の市場が、大手ゼネコンに開放されたからではない。
むしろそのルールが最後の抵抗をしたからだ――つまり自治体が、「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的のために、地元優先のルールをつくったのである。(その代表が、梶原元岐阜県知事だったし、佐藤元福島県知事も似たような政策であった)。しかしそれらのシステムは今や、自治体トップを含んだ官製談合事件の摘発で、壊滅させられようとしている。
ルールシェアの反転
その決定的な要因をつくったは、竹中-小泉内閣の、新自由主義(ネオリベ)的な政策だといっていいだろう。つまり公共事業の目的とルールのシェアも、竹中-小泉内閣の登場によって反転するのである。
それは、開発主義の終焉(ハードランディング)の本格的始まりであった。そこでは、「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的が否定されることで、地方の公共事業の市場そのものが激減してしまう、という事態が起こる。
それに代わって、「必要なものをより良くより安くより早く校正に」に調達するという、効率的な社会資本整備としての公共事業という、目的とルールが支配的になった、ということだ。(その目的がそもそも誤りである、というのが、私の主張なのだけれどもね)。
当然にその手段は配分ではなく、市場原理を強調したルール(マーケット・ソリューション)であり、具体的にはそれは、一般競争入札となってしまう、ということだ。(なぜそうなったのか、といえば、手っ取り早く選択できるものがそれしかなかった、というだけだろう――つまり政策担当者の思考停止)。
つまり『鹿島、清水建設などゼネ
今や公共事業の目的は、「必要なものをより良くより安くより早く公正に」に調達するという目的>「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的、に反転してしまったのである。
大手ゼネコンはその動きに忠実に、経済合理的に動いているに過ぎない、ということだろう(というか、彼らはそうしかできないのである)。※2
問題は、開発主義の申し子のような北海道でさえ、公共事業のルールのシェアが変わってしまった、ということの意味と、それが北海道経済に及ぼす影響なのである。しかしそんなことは、マスコミ(とその情報を消費するだけの大衆には)関係のないことなのだろう。
地場の生い立ち
しかし地場の建設業はそうはいかない。そもそも自らは、生い立ちからして「地場経済の活性化と雇用の確保」という目的に支配されてきたのである。(たぶん多くはその目的を意識したこともないだろうが)。それはいってみれば、「地元(パトリ)のために私はある」ということだ。
だから『伊藤会長は、環境対策や災害復旧
目的と目標
だから、常日頃から、目的と目標の区分は大切なのである。そして『環境対策や災害復旧
つまり札幌建設業協会が、目的と理念(哲学)をもって情報発信をしてこなかったのであれば、そのツケは今後大きなものとならざるをえないだろう(なによりも大手の退会によって会費収入は減るだろうしね)し、建設業協会の存在意義のコペルニクス的転換は必要となるだろう。(それが時代の変化に間に合うかどうかは、わからないけれども)。
注記
※1 「地場経済の活性化と雇用の確保」を目的とした公共工事は、「官公需確保法」(村上による開発主義政策プロトタイプ要件(4.小規模企業の育成)によって存在を担保され、その上、配分が最優先であるので「競争」はさほど大切なことではない。(要件5.配分を平等化して、大衆消費中心の国内需要を育てる)。このような公共工事の目的は、保護主義色の強い市場をつくりあげる。
※2 ただ彼らには大きな誤算があった。それは配分を重視したルール(ヒエラルキー・ソリューション)が維持されたまま、地方の公共事業がCALS/ECによって彼らに開放されるはずだったのに、そうはならなかった、ということである。だから彼らは未だにヒエラルキー・ソリューションから抜けきれないでいるか、ゼネコン自滅なのである。
今の建設業界日本のゼネコンに一流も三流もない。政治と連動し公共投資に頼った建築屋に何の未来があるのか。施主である国が破綻する時が近いかもしれないのにと感じてならない。