桃知商店よりのお知らせ

橋下弁護士というのは弁護士のことではなくて、橋下弁護士という芸名なのだろうな、と思う。

“狼少年”とはこのことか-。来年1月10日告示(27日投開票)の大阪府知事選への出馬が取りざたされながら、一貫して不出馬を表明していたタレントで弁護士の橋下(はしもと)徹氏(38)が12日、大阪府庁で正式出馬を表明。「出馬は2万%ない」が「立候補します」へと二転三転した出馬劇。決断の舞台裏ではいったい何があったのか。[「 「2万%ない」一転…橋下弁護士ドタバタ変心のワケ」エンタメ‐芸能界ニュース:イザ!]


午前6時20分起床。浅草は雨。今日から15日まで岩見沢出張。[140B劇場-浅草・岸和田往復書簡]の返信はどこかで一挙に書き上げよう。

さて、橋下弁護士というのは弁護士のことではなくて、「橋下弁護士」という芸名なのだろうな、と思う。そして「橋下弁護士」という芸人は、TVというムラ社会では、(大衆の)身近な住人であることで、べつに自民党から出なくても相当に戦えるだろうな、と。

TVの世界に棲む芸人というのは、じつはかつての芸人(つまり非社会的な民であり、悪党である)とは違って、今や、世間にとっては最も身近な円環の中の住人であるということだ。

これは「宮崎県知事選挙でそのまんま東氏が当選したこと。」でも書いたが、つまりテレビは今や、われわれにとっての(仮想的な、心的な)ムラ社会なのである。つまり共同体の機能等価物である。そこで見られる者に匿名性はなく、ゴシップに溢れていることで、われわれのムラ的な心理を満足させようとしている――ことでテレビは益々芸能的になる。そしてそこで生き残るためには芸人はムラ社会的に規範的である必要がある。 [テレビという共同体と芸人の進化的戦略―加護ちゃん引退。]

弁護士=規範的というイメージは偽装の時代には功を奏するだろう。それは政治家としての資質は別としてだ。資質―そんなことはどうでもよい問題なのである。やってりゃだれでもそれらしくなる。それが政治家と言うものだし、それがムラ社会がムラ社会であることだからだ。TV村のムラ社会性は益々高まっているように思える。

テレビ村の円環モデル性(井戸端会議モデル)について。

日本の近代化が遅れている、とお嘆きの諸兄は、TVの解体から始めたらいかがだろうか。(笑)

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テレビ村という共同体。

マルクスの自然哲学もししくは普遍経済学 普遍経済学の... 続きを読む

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