格差社会と云爾


各社社会

昨日のアクセスログを見ていたら、"各社社会"という検索フレーズでのアクセスがあって、思わず "ん?"と首を捻る。

ヒットしていたのは、「ももち ど ぶろぐ|格差社会はいいことだ?」で、たしかにそのテクストには「各社社会」という言葉があったりする。それは「格差社会」のあきらかな間違い(タイプミス)なのだが、「各社社会」という言葉も、(それはそれで)いけてるなと思う。

例えば、先日アップした「Lesson19 IT化の意義(1)―IT化はなぜ必要なのか from 桃論―中小建設業IT化サバイバル論」は、自社の「技術のミーム」についての記述だけれど、それは言ってみれば「各社社会」のことなのである。

であればそれは、自社の「技術のミーム」よりも、はるかにわかりやすい言葉かもしれないなと思うのだ。

面倒なテクストは〈他者〉にはまず届くことはない。ましてや、あたしのように、自分でつくった語彙を使い出すとそれは尚更である。

しかしわかりやすいテクストっていうのも、どう書いていいのか知らないのだから、それがどうしたというのだ、なのだけれども。

云爾

このサイトであたしが使っている「云爾」は訓読みで「しかいう」と読む。goo辞書によれば以下のとおりだ。

 しか 【▽然/▼爾】

――言・う
〔「爾云」「云爾」の訓読み〕文章末尾などにおき、上述のとおりという意を表す。
「理りに因(よつ)て―・ふのさ/西洋道中膝栗毛(七杉子)」

つまり、「まぁ、そんなものだよ」というな意味であたしは「云爾」を使っている。――あたしはこのサイトを、あたしと同じ世代&そのちょっと上の方々を読者と想定している――けれど、「云爾」を読める人は、(たぶん)いなかったんじゃないだろか。(読める人はパソコンなんざ使ってないだろう)。

それじゃ、なんでわざわざそんな(読めない)言葉を使っていたのかと言えば、一番の理由は、いつかこれ(このテクスト)を書いてやろうと思っていたからで、まぁ、ネタの前振りを、延々とやっていたということかね。