高知からメールをいただいた。曰く
「桃論」に感激して、読み終わったあとにメールをさせてもらったことがありました。
私も、ささやかながら行動を起こしましたので、「心の師匠」にとりあえず報告です。
文章、無断で引用をさせてもらいました。
http://blog.goo.ne.jp/isobegumi/d/20080702
これからも、愛読者ですので、よろしくお願いします。
「こちらこそ宜しくお願いします。」でしかなのだが、「心の師匠」などと呼ばれていいのか、という問題はともかくも、そう呼ばれれば、そして、そもそも『桃論』を読んでくださる方が絶滅危惧種なのだもの、メールの主様が運営されているサイトを紹介しないわけにはいかないのである。
あたしは啓蒙を言う人なので、(無責任に)「情報を発信せよ!」と言うのである。それをどう受け止めるかは、みなさんの自由だ。言っているあたしが自由なら、読んでいる皆さんも自由であって、読まない人はもっと自由なのである。
そのべらぼうな自由の中にいて、自ら情報を発信しようなどと決意することは、自由の最高峰である「思想の自由」的に正しい。「思想の自由」とは「内面の自由」である。そして情報を自ら発信する者にとって内面とは外面なのである。自ら情報を発信することは内面と語ることで外面と語ることなのである。
そのことについては[「街的」が見えない人は「かなしい」が足りないのだ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡]にゲップが出る程に書いたが、その意味で、《私は、私と私の環境である。そしてもしこの環境を救えないなら私も救えない》@オルテガ・イ・ガセットも機能する(かもしれない)のよ、とあたしは(無責任)に言っているのである(実行もしているが)。
その無責任さを受け止め、自ら情報を発信しようとする決意は見事なことなのだ。それはなによりも「自分でそうしようとした」から立派なのであって、あたしが強制したわけではないのである。なにしろあたしはメールの主様とは全く面識がないのだ。ブログを読むと、「ボンズ2号」が暗躍していたようだが、今度彼に会ったら坊主頭をグリグリとなでてやろうと思う。メールの主様には、是非情報を発信し続けていただきたいな、と思うのである。
Comments [2]
No.1@北の大地さん
そのうち浅草につれて行きたいと思っていますので、宜しくでございます(笑。
No.2ももちさん
>@北の大地さん
楽しみにしてお待ちいたしております。