「シリコンバレーにはないでしょう」シリーズとしての下町ハイボール
昨晩の二軒目は、どぜう飯田屋から、突然に東向島なのであった。タクシーに乗れば、「水戸街道から鐘ヶ淵の駅に向かって」なのである。目指すは大衆酒場亀屋であって、何故そうなのかと言えば、シリコンバレーに下町ハイボールは無いからだ。今回は徹底して「シリコンバレーにはないでしょう」シリーズなのである。
あたしは鉄蔵さんに教えて貰った亀屋の下町ハイボールに惚れ込んでいる。店という空間にあるあらゆるモノ(目には見えないモノ)を含めて、この下町ハイボールは、とてつもなくうまい、と(あたしは)思う。
しかしこれを、八木さんが気に入るかどうかは別問題であって、つまりこれも"fishy"なのである。しかしそんな心配も直ぐに何処かへ飛んでしまうのは、八木さんの懐の深い明るさと、亀屋のもつ子宮的構造のせいだろう。そんなわけで、あたしも八木さんもベロベロになるまで飲んでしまったのだ。ふたり合わせて10杯は飲んだ。下町ハイボールに沈むオヤジ二人なのである。
かなしい
あたしは調理場にいたおかみさんと話しをした。おかみさんのご出身は、あたしのよく知っているところだった。懐かしい地名や学校の名前を聞けば、あたしはうかつにも泣いてしまった。それは「かなしい」なのである。
「かなしい」とは「欠如」のことですね。それを「根源的欠如」などというつもりはありませんし、それはただ「かなしい」のだと思います。自分の過去の記憶と関わっている、すぐ身近にある過去を振り返つた瞬間に涙が出てくような「かなしい」でしょう。(「街的」が見えない人は「かなしい」が足りないのだ。 from 140B劇場-浅草・岸和田往復書簡)
下町ハイボールは涙の酒なのだ。
記憶がない
と、ここからの記憶が無いのである。この後、居酒屋浩司へは行った。行ったけれど、どうやって行ったのかを覚えていないのだ。浩司からは直ぐに帰ったのは薄く覚えている。八木さんとタクシーに乗ったのも薄く覚えている。しかし何処からタクシーに乗ったのか、何処で降りたのかの記憶がないのである。八木さんからも「私も、浩司からの記憶がなく、今朝はふらふらでした。」とメールが届いていた。しょうもないオヤジ二人なのである。
亀屋
採点:★★★★★ |
Comments [2]
No.1鉄蔵さん
おめでとうございます。
Uncle Tom さんとも同じですが
フォスター(1826年)
ルイ・アームストロング(1900年)
ニール・サイモン(1927年)
真野あずさ(1957年)
ヒロコ・グレース(1969年)
といったお歴々と同じ誕生日ですね。
亀屋気に入ってもらえてて何よりです。
私にとってはここで飲むのは風雅です。
まだまだお連れしたいお店はありますのでまた行きましょう。
No.2ももちさん
>鉄蔵さん
毎度です。
そしてありがとうございます。
暑くなってきましたね。
ぱーっとどこかへ行きましょうか。