日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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センバツのまっただ中に、球春を感じさせる知らせが届いた。PL学園コーチ、大和銀行、大院大で監督を務めた西山正志が、山口松陰学園・松陰高校で、4月1日創部の野球部初代監督に就くことが分かった。

「この年になってチャンスをもらえてうれしいですよ。久しぶりに燃えてるんです。甲子園は素晴らしい。子供たちと一緒に夢を追いたいですね」

本校が山口県の通信制で、野球部の活動は兵庫尼崎校が中心になる。地元三田(さんだ)に使用するグラウンドも確保し、これから入部する人材を集めながら、実質的活動は来年4月を予定している。

西山はPL監督だった鶴岡泰、中村順司にコーチで計15年間仕え、7度の全国制覇を遂げた。教え子も金森栄治、尾花高夫、木戸克彦、西田真二、吉村禎章、桑田真澄、清原和博、立浪和義、片岡篤史、宮本慎也らそうたる顔ぶれだ。

長男・市郎(38)も、幼少時から家族とPL寮で生活してきたから、“父子鷹”は自然の流れだ。明徳義塾(高知)の内野手で甲子園ベスト4、明大でも大学選手権ベスト4と活躍した。

現在、小学生の野球教室(WMベースボールアカデミー)など事業展開し、運営する「ウエストマウンテン社」社長の市郎が、松陰高校長の湯山俊樹と知り合ったことで、父親正志に白羽の矢が立てられた。

社会人クラブチーム「JFFシステムズ(兵庫)」監督も務める市郎は「生まれたときから野球の指導者は父親でした。この年でも好きな野球をする。頼もしいです」と敬意を示す。

西山は高齢の監督招聘(しょうへい)にも即決だったという。大院大の監督退任後も、小中学校で野球に接し、高校にも顔を出した。コロナ禍で指導法も変化し、かつての“スパルタ野球”が通用しないことも承知している。

本格的にスタートすれば「長髪OK」、暑い時期には「短パン」で練習することも頭に描いている。室内練習場は今後の課題だ。時代に即した手法で活動していく方針だ。

本人は「おじいちゃんとして、子どもたちと仲良くやりたい」と言いつつ、「でも目標は一緒」と前のめりで目を輝かせる。「ぼくの原点は、粘って、粘ってのPL野球です」と語気を強める。

もっとも思い出に残る一戦は、1978年(昭53)夏の甲子園、決勝の対高知商戦だという。0対2だった9回にひっくり返してのサヨナラ勝ち。初優勝のミラクルは“逆転のPL”とうたわれた。

「本気ですから。まだノックも打てます。3年後の甲子園を目指したいと思ってるんです」

幕末の教育者、吉田松陰は、「松下村塾」で、明治維新の志士に「志」と「夢」を語ったという。御年72歳。名指導者の野球人生には夢の続きがあった。(敬称略)