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中村八大編<464>国民に愛される歌

 世界的に拡大した新型コロナウイルス禍の中、会員制交流サイト(SNS)を使った動画による音楽の輪が広がった。その一つにJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊員による動画がある。隊員76人が18カ国の現地語で「上を向いて歩こう」を発信している。

 <アンガリア ジュウ ウナポテンベア…> 

 スワヒリ語に訳して歌っているのは佐賀県みやき町の武田七重だ。武田は東アフリカのタンザニアから昨年7月に帰国した。イリンガ州立病院に看護師として2年半、活動した。 

 「日本にいるときもこの歌はカラオケなどで歌っていました。現地の病院もコロナ感染者を受け入れていると聞いています。そこにも届けば、と思っています」

 福岡市出身の大学院生の本田晴己(26)はインドネシア語で参加している。2年間、現地で水球を指導して今年3月に帰任した。 

 「インドネシアでもこの曲を歌う人がいました。草の根的な世界への広がりは、協力隊の精神に合っています」 

   ×    × 

 「上を向いて歩こう」が発売されたのは、武田や本田が生まれるずっと前の1961年だ。世に出て60年近い歳月が流れている。歌った坂本九は85年、43歳のときに航空機事故で死去した。 

 東日本大震災のときもこの歌は自然発生的に唱和された。困難時に一瞬で響き合うことは、この歌が日々の暮らしに溶け込こんでいる証しでもある。戦前の童謡や唱歌のように、国民に愛される戦後の代表歌として根を下ろしている。 

 「上を向いて歩こう」は勇壮で明るさに満ちた応援歌、激励歌ではない。「一人ぽっちの夜」に象徴されるように誰もが持つ孤独感の上に成立している。武田はこの歌の力を次のように言った。 

 「さみしい歌でもありますが、こちら側の感情に寄り添い、少しがんばってみようか、立ち上がってみようかという気持ちにさせられる歌です」 

 作り手は「六・八・九」トリオだ。作詞は永六輔、歌は坂本九、そして作曲は中村八大。中村のメロディーの支えがあって世界に浸透した。 

 作曲家、ジャズピアニストの中村は福岡県久留米市で青春の一部を過した。1992年、61歳で生を閉じるまで数々の曲を生んだ。99年には4枚組CDでその軌跡をたどる「中村八大作品集-上を向いて歩こう」(東芝EMI)が発売されている。その中で長年、親交のあった黒柳徹子は「あなたは天才でした」と自筆文を寄せている。 

 =敬称略 

 (田代俊一郎)

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