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【偉人クイズ】織田信長が初めて「城主」になったのは何歳のとき?

やってみよう!偉人の年齢当てクイズ


勉強をするうえで避けて通れない暗記。しかし、「何度書いても、何度読んでも覚えられない!」というキッズたちにおすすめの暗記方法がクイズ!今回は有名武将・織田信長の年齢当てクイズを用意しました。クイズと答えを覚えたら、次は家族や友だちに出題してみてね!


『愛知県史 第1巻』織田信長の肖像画(国立国会図書館蔵)

「人間(じんかん)五十年・・・」のフレーズは、織田信長が好んだ『敦盛』(あつもり)という幸若舞(こうわかまい)の一部です。

 

「人の世の五十年など、天上界では、ほんの夢や幻のようだ」という意味がありますが、50歳になる1年前に「本能寺」で生涯をとじた信長の一生は、はかないものでした。戦国乱世でも50年以上生きる人は多く、やっぱり短かかったといえるでしょう。しかし、短くてもその一生はとても太いものでしたし、波乱に満ちていましたよね。

 

そんな信長だからか、ひとつの城の主になったのも非常に早かったのです。なんと6歳(数え年※)で、那古野城(なごやじょう/現在の名古屋城の前身)の城主になっています。

 

※昔は生まれた年を1歳と数え、正月に1歳プラスされました(誕生日ではありません)。これを「数え年」といいます。現在は最初の誕生日で1歳と数える「満年齢」が基本。つまり、信長が城主になったのは満年齢では5歳です。

 

その時期は信長の父、織田信秀(のぶひで)の行動から知ることができます。当時、勝幡城(しょばたじょう)にいた信秀は1538年(天文7)年、今川氏から那古野城をうばい、翌1539年に古渡城(ふるわたりじょう/愛知県)という新しい城を築いて、そちらに引っ越しました。そのときに那古野城をより堅固(けんご)な城にするよう命令して、嫡男(ちゃくなん=正室が生んだ年長の男子)で自分の跡(あと)とりと見ていた信長にゆずったのです。

 

当時、信長はまだ元服(げんぷく=成人を示すものとして行われた儀式)前で、吉法師(きっぽうし)という幼名をなのっていました。城主とはいっても、まだ子どもですから、林秀貞(はやしひでさだ)や平手政秀(ひらてまさひで)などの家老や大勢の家臣たちにサポートを受けていました。近くにある天主坊という寺(現在の津島神社)に通って学問を習っていたそうです。

 

吉法師は1546年(天文15)に父の城・古渡城へ呼ばれ、13歳で元服。大人になったことを認められ、はじめて「織田三郎信長」と名乗りました。なお、信長が城主になった年齢には諸説ありますが、信長の伝記『信長公記』(しんちょうこうき)では、那古野城を譲られたのが元服前のこととして紹介されています。いずれにしても、13歳までには城主になっているのは確かです。

 

当時の那古野城は、現在の名古屋城よりずっと小さくて簡素なつくりでしたが、それでも今の基準からすると、早いなあと感じますね。当時、織田家のような有力者の嫡男=跡とりは、生まれながらにして人の上に立つ運命を持っていたといえるでしょう。

 

じっさい、その後の運命を見ると、当時の跡とりがいかに大変だったかわかります。信長元服から6年後の1552年(天文21)ごろ、信秀は今川氏や織田家内との争いのさなかに急死してしまいます。そのため信長は18歳で家督をつぎ、織田家の当主になったのです。

 

大名や豪族の跡とりは、父親が亡くなったり、戦いに敗れて滅ぼされた場合、新たな家に仕えなくてはならないという複雑な運命も持っていました。それはまだ良いほうで、殺されてしまうことも少なくありませんでした。小さいころに城主となった信長を「うらやましい!」と思う反面、平和な世の中で良かったと胸をなでおろした人は多いでしょう。

 


【主な参考文献】『信長公記』(太田牛一/著)

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上永哲矢うえなが てつや

歴史著述家・紀行作家。神奈川県出身。日本の歴史および「三国志」をはじめとする中国史の記事を多数手がけ、日本全国や中国各地や台湾の現地取材も精力的に行なう。著書に『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と渓谷社)、共著に『密教の聖地 高野山 その聖地に眠る偉人たち』(三栄)など。

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