芸能人・有名人
PR

【画像30枚】華原朋美の昔の全盛期がかわいい!デビュー当時からブレイクした1999年までの写真まとめ

nn70

平成の歌姫として絶大な人気を誇っていた”朋ちゃん”こと華原朋美さん。

1990年代に多くのヒット曲を世に送り出し、小室ファミリーとして注目されていました。

そんな華原朋美さんの全盛期の昔の若い頃の写真をまとめてみました。

【画像】華原朋美の全盛期の若い頃がかわいい!

華原朋美さんは、中山美穂や工藤静香に憧れ、高校1年(1990年)の時に全日本国民的美少女コンテストに応募します。

しかし、母親に反対されて本戦には出場できませんでした。

高校3年(1992年)の時、渋谷で当時の事務所アバンギャルドにスカウトされ芸能界入りします。

【1993年】『さんまのナンでもダービー』でテレビ初出演

『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日系)でレギュラーアシスタントを務め、テレビ初出演を果たします。

当時は、”華原朋美”ではなく、”三浦彩香”や”遠峯ありさ”という芸名で活動していました。

雑誌『CanCam』、『ViVi』等でモデルも務めていました。

【1994年】小室哲哉と交際開始

アイドルとしてバラエティ番組『天使のU・B・U・G』にレギュラー出演していた際、視聴していた小室哲哉さんに見初められ、歌手デビューが決定します。

また、この出会いがきっかけで小室哲哉さんとの交際が始まります。

写真週刊誌フライデーの記者に対し、当時の小室哲哉さんはこのように語っています。

『アーティストに手をつけたのではなく、プライベートの恋人に曲を書いてデビューさせただけです。』

【1995年】華原朋美として活動開始

事務所を移籍し、小室哲哉さんのイニシャルと同じT. Kで、現在の芸名である華原朋美に改名します。

1995年、21歳のときにシングル「keep yourself alive」で歌手デビューした華原朋美さん。

メディア出演はほとんどありませんでしたが、オリコン・シングルチャート最高8位を記録し、いきなり37万枚のヒットを記録します。

立て続けに、1995年10月発売の2枚目のシングル「I BELIEVE」を発売します。

驚異的なロングセラーを記録しオリコン最高4位を記録し、「I BELIEVE」で年末の新人賞を総なめにしました。

【1996年】「I’m proud」もミリオンセラー

1996年3月に3枚目のシングル「I’m proud」を発売し、ミリオンセラーを記録します。

華原朋美ヒット記念パーティー”を開催して、小室哲哉さんと一緒に歌を披露します。

ファーストアルバム『LOVE BRACE』を発売し、初のオリコン首位を獲得します。

大晦日には『第47回NHK紅白歌合戦』に初出場し、小室哲哉さんのピアノ演奏で「I’m proud」を熱唱します。

【1997年】TKこねっと「YOU ARE THE ONE」に参加

1997年1月には、小室ファミリーが集結して発売したTKこねっと「YOU ARE THE ONE」に参加します。

カネボウ化粧品「ブロンズラヴ」のイメージキャラクターに初起用され、タイアップソング「Hate tell a lie」を発売します。

1997年12月には小室哲哉さんと一緒に記者会見を開き、2枚目のアルバム『storytelling』の発売についてや2人の交際やケンカについてなども赤裸々に語っています。

【1998年】CM「桃の天然水」の”ヒューヒュー”が流行語に

JT「桃の天然水」のCMオンエアがスタートし、華原朋美さんのセリフ”ヒューヒュー”が流行語になります。

桃の天然水のタイアップが付いた11枚目のシングル「tumblin’ dice」を発売します。

月9ドラマ『ボーイハント』ドラマ初出演

フジテレビ月9ドラマ『ボーイハント』で観月ありさ演じる主人公の大学の同級生役としてドラマ初出演をした華原朋美さん。

歌手だけでなく、活動の場を広げていきます。

【1999年~】小室哲哉との破局で休養期間へ

1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院した華原朋美さん。

この時、初めて年明けから休養していたことや1998年末に小室哲哉さんと破局していたことが報じられます。

退院後に無事であることを語った華原朋美さんですが、一時は意識不明の重体であったことなどから連日報道され注目されます。

小室哲哉さんとの破局による精神的ダメージは大きく、長い休養に入ります。

【華原朋美】ブーム火付け役の“平成のシンデレラ”

華原朋美さんは20代前半の全盛期には、雑誌『JUNON』で“なりたい顔1位”にも選ばれるなど、同性を中心にカリスマ的存在でした。

安室奈美恵さんの“アムラー”に対して、華原朋美さんのファッションや言動をマネする女子は“カハラー””ともと呼ばれ、“平成のシンデレラ”などとも呼ばれていました。

ブーム火付け役のカリスマ的存在

華原朋美さんは多くのブーム火付け役でもあります。

  • ハローキティ
  • 吉野家牛丼の”つゆだく”
  • 桃の天然水の”ヒューヒュー”

華原朋美さんが大好きと公言していたハローキティが女子高生を中心に再流行します。

華原朋美さんがテレビで公言した吉野家牛丼における専門通の食べ方”つゆだく”が広まります。

CMで“ヒューヒュー”のフレーズが強調された「桃の天然水」が1年間で1,600万ケースを売り上げる大ヒット商品となります。

まとめ

華原朋美さんの全盛期の若い頃の写真をまとめてみました。

今もなお、華原朋美さんの歌唱力や生活には注目が集まります。

今後の華原朋美さんの活躍にも注目していきたいと思います。

オーバーレイ
記事URLをコピーしました