モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら

(56)ナンシー関なら吉本興業騒動をどう斬るか

『ナンシー関大全』文芸春秋
『ナンシー関大全』文芸春秋

本性を見抜く恐るべき眼力

 時折、「こんな時こそナンシーのコラムを読みたい! 消しゴム版画を見たい!」と心から思うことがある。ナンシーが急死してから17年。空になった王座に座す才能はいまだ出現していない。彼女が亡くなった翌日、平成14年6月13日付の本紙東京朝刊はこう報じている。

 《消しゴム版画家として知られるナンシー関(本名・関直美=せき・なおみ)さんが12日午前0時47分、東京都目黒区の東京医療センターで虚血性心不全のため死去した。39歳だった。(中略)警視庁目黒署によると、関さんは11日午後8時ごろから、目黒区内の飲食店で友人と食事をし、同日11時半すぎ、帰宅するため一人で乗ったタクシーの中で倒れた。祐天寺駅の駅前交番から救急車で東京医療センターに搬送されたが、そのまま帰らぬ人となった。関さんは昭和37年、青森市生まれ。法政大学在学中に、消しゴムに彫った似顔絵の版画が認められ、プロに。テレビマニアとしても知られ、版画を付した辛口のテレビ批評は人気が高く、多くの週刊誌、月刊誌に連載をもっていた》

 還暦を機に蔵書のほとんどを処分してしまったため、いま手元にあるナンシーの本は文芸春秋が刊行した『ナンシー関大全』のみ。奥付を見ると15年7月30日の発行。没後1周年にまとめられたものだ。

 ナンシーは「予言者」でもあった。本書にも再録されているが、柔道の田村亮子さんがバリバリの現役時代に、《単なる私の予感だが、選挙出そうだし、ヤワラちゃん》と11年に書いたら、果たして22年の参院選で民主党(当時)の比例候補として出馬し当選してしまった。本人に直接会わずとも、テレビを通して人間の資質や本性を見抜いてしまうその眼力は恐るべきものだった。

 本書にはもうひとつ予言めいたコラムが再録されている。10年秋に女優の森光子さんが名誉都民に決まったとき、ジャニーズ事務所の滝沢秀明さんが「ボクも養子としてとてもうれしいです」と書いたお祝いのファクスを送ったという。これを踏まえてナンシーはこう書いている。《滝沢秀明十六歳。ヒガシ(同事務所の東山紀之さんのこと)の跡目を継ぐのはこの男なのか。確信のもとにやっているのか、それとも天性の才能なのか、この人は老若男女を転がすことができる、と見たが》

 この見立て通り、ジャニー喜多川さんに見込まれた滝沢さんは、30年いっぱいでタレント活動から身を引き、ジャニーズ事務所傘下に設立されたジャニーズアイランドの社長に就任した。

 そして令和元年夏。

 「週刊文春」(4年10月15日号)に《何が一番おもしろいか、という質問に答え切ることは難しい。遠大と言ってもいい質問を、そんなに簡単に投げかけたりしないで欲しいと思う。しかし、私は、今ならばその質問に即答できる。一番おもしろいのはダウンタウンの「おかんコント」だと言い切ろう》と書くほどに、吉本興業所属のお笑いコンビ、ダウンタウンを愛したナンシーの不在を痛切に感じさせる騒動が起きた。

 吉本興業の芸人が会社を通さず、犯罪組織のパーティーで芸を披露、謝礼を受け取っていた「事件」に端を発するものだ。「事件」の当事者であり、涙の記者会見で結果的に会社を告発する形になった宮迫博之さんと田村亮さん、これを受けて、途中で涙を拭きつつなんと5時間半に及ぶ記者会見をやってのけた吉本興業の岡本昭彦社長、さらには、会社の対応と体制をめぐって自分の考えを表明した加藤浩次さんや松本人志さんら吉本の芸人たち、松本さんが信頼を寄せる吉本興業の大崎洋会長…。顔ぶれは多士済々だ。

 ナンシーなら、どこのメディアも書かない騒動の見方を教えてくれたに違いない。

風向き変えた涙の記者会見

 思い出に浸りすぎてしまった。いつまでもナンシーを懐かしがっていては前に進めない。自分の凡庸な頭とセンスで書いてみよう。

 不祥事を起こしたときの記者会見のやり方をアドバイスするコンサルティング会社があるが、今回の宮迫さんと田村さんの会見は、そんな会社にとっても学ぶところが多かったのではないか。あの涙の会見でがらりと世間の風向きが変わってしまったのだから。人をだましてカネを稼いだ犯罪組織から高額な謝礼を受け取ったこと、さらに「受け取っていない」とウソをついたことはすっかり脇に置かれ、非難の矛先は吉本興業の対応と体制に向けられるようになった。

 涙の会見の記録を読み直してみた。ポイントは次の部分だろう。記者から「闇営業でお金をもらったことを隠していた理由は、お金をもらってはいけない相手だったからと知ってたからではないか」と問われた宮迫さんはこう返答した。

 「6月4日に(闇営業を仲介した)入江(慎也)くんが契約解除になった時点で、僕がここでお金のことを言うと、自分らも契約解除になってしまうという怖さを感じてしまった。それでも言わなければいけないが、保身です。その勇気が出ませんでした」

 キーワードは「保身」である。煎じ詰めればこの世の中、各人の「保身」の思惑が絡み合いながら動いている。「保身」とは無縁のような顔をしながら、人は絶えず「保身」を意識して判断を下し、行動を起こすものだ。

 「保身です。その勇気が出ませんでした」という宮迫さんの発言は、会見を見聞していた者の情緒を直撃した。多くの者に「そりゃそうだよな」と感じさせ、これ以上この問題を追及する気を削(そ)いでしまった。

 さはさりながら、《我々相互の理解はただ言葉という道によってのみ達せられる》と考えるモンテーニュは、ウソによって《我々のすべての交わりは絶たれ、人類社会のすべての連帯は解けてしまう》(第2巻第18章「嘘について」)とまで書く。ウソは人間社会を蝕(むしば)む恥ずべき悪徳であることを、私たちは忘れてはならない。

 もう一つ。「隣国では国民の感情によって政治が動く」と私たちは批判する。しかし、その傾向は私たちの中にも巣くっている。涙の会見によって世間の風向きが大きく変わったのは、その紛れもない証拠だ。

 ※モンテーニュの引用は関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』(国書刊行会)によった。   

=隔週掲載(文化部 桑原聡)

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