天道(てんとう)とは、神にもあらず、仏にもあらず、天地のあいだの主にて、しかも躰(たい)なし『本佐録(ほんさろく)』
徳川家康の側近、本多正信(1538~1616年)は影の参謀役といったイメージが強い。家中を二分した三河一向一揆では一揆方につき出奔。長い放浪をへて帰参した。家康が悩んでいるのを察してそれとなく進言したり、家康の暴言を訓令に潤色(じゅんしょく)して家臣の面目を守るなど逸話は数多いが、一度は裏切った正信を取り立てたのは、2人の人間的な信頼があったからであろう。
帰参組の正信を快く思わない家臣は多く、徳川四天王の一人、榊原康政は、正信の顔を見ると腸が腐ると憎んだ。しかし家康は康政を切ってでも正信を重用した。康政は政務・軍務に多大な功績を挙げたが、関ケ原後は加増もなく没した。一説には「功臣が居座るのは亡国の兆し」と加増を辞退したとも伝わるが、いずれにせよ四天王クラスの名臣が退いた後でも、正信を重用した意味は際立つ。