黒いだしに串刺しの具材 しぞーか(静岡)おでん

手前から、黒はんぺん、こんにゃく、白焼き。だし粉をかけるのが静岡流(酒巻俊介撮影)
手前から、黒はんぺん、こんにゃく、白焼き。だし粉をかけるのが静岡流(酒巻俊介撮影)

朝晩の風の冷たさが身に染みるようになると、熱々のおでんが恋しくなる。おでんと聞いて想像するのは、澄んだだしの関西流、それともしょうゆベースの関東流? いやいや、ぜひ、黒いだしに串刺しの具がつかった「静岡おでん」をお試しあれ。静岡から東京に転勤したての記者が、夜の銀座で慣れ親しんだ静岡おでんを味わった。

(田中万紀)

黒いスープに、黒はんぺんや白焼きといった郷土色のある具が串刺しになってつかっている。これを静岡県民は「おでん」と呼ぶ。

鍋から上げた熱々の牛スジ。寒い日は特に、ほおばりたくなる=東京・銀座の「銀座 乃だや」(酒巻俊介撮影)
鍋から上げた熱々の牛スジ。寒い日は特に、ほおばりたくなる=東京・銀座の「銀座 乃だや」(酒巻俊介撮影)

黒はんぺんは、イワシやサバなどをすり合わせた濃灰色の練り物で、白くてフワフワとしたあの「はんぺん」とは似ても似つかぬ一品だ。白焼きは白身魚のすり身を素焼きにしたもので、これも静岡特有。

「発音は『しずおかおでん』じゃなくて、『しぞーかおでん』です」と話すのは、静岡のおでん文化を全国に発信する「静岡おでんの会」の海野秀樹会長(49)。

その歴史は大正時代までさかのぼる。戦後の食糧難の折、牛スジや豚モツを煮込んだのが始まり。やがて近隣の港に水揚げされる鮮魚を使った多彩な練り物も具材になった。

最盛期には静岡市の繁華街に200軒近くのおでん屋台などが並んだという。屋台文化が衰退すると子供のおやつとして駄菓子屋で供されるようになり、近年はもっぱら居酒屋で親しまれている。

同会では「他地域のおでんにはない特徴」として、①黒はんぺんが入っている②黒いスープ③串に刺してある④だし粉、青のりをかける⑤駄菓子屋にもある-を「静岡おでん5カ条」とする。

鍋の中で黒く育つ

もっとも、西は大井川から東は富士川までの狭い地域のもの。静岡から居を移して1カ月足らずだが、東京でもあの味を堪能したくなった。「実際に足を運んだことがある店です」との海野さんの推薦で、「銀座 乃だや」の、のれんをくぐった。

同店は、静岡市内で70年近く続くおでんの老舗「乃だや」の2代目、野田亨さん(57)が、7年前に一念発起して出店した。

味の要となるだしは牛スジがベースで、意外にもしょうゆはほとんど使わない。「スープが黒くなるのは、黒はんぺんなど黒っぽい具材が多いのと、秘伝のだしを毎日継ぎ足しているので味が凝縮されるから」と野田さん。

確かに、おでん鍋に継ぎ足すだしは濃色ながらも澄んでいる。これが日々、多種多様な具材からしみだす風味を吸い重ね、黒へと色を深めていく。

具材に欠かせない黒はんぺん、牛スジ、白焼きなどは、鍋の中で脂を含み黒っぽく照り光っている。ところが「見た目ほど味は濃くないですよ」という野田さんの言葉通り、口に運べば想像よりはるかに品のよいうま味が広がる。サバやイワシを粉状にした「だし粉」と青のりをたっぷり振りかければ、より深い味わいに。豊かな海の幸に恵まれた静岡のソウルフードという位置づけも納得の、素朴な一品だ。

かつて静岡の子供は放課後、駄菓子屋の店先で1本、2本とおでんを味わった。今では駄菓子屋が少なくなったが、静岡・駿府城公園内の「おでんや おばちゃん」に足を運べば、駄菓子とおでんのコラボレーションを体験できる。「子供たちが大きくなって静岡から離れたときに、静岡にはこんなおでんがあったなあと思い出してもらいたい」と杉浦孝店長(48)。

「子供のころには学校帰りにおこづかいで買った思い出があります」と懐かしそうに振り返る海野さんも、「静岡独特の食文化。全国に拡大するよりも、まずは静岡の子供たちに伝統や文化として記憶にとどめてもらい、後世に残したい」と、熱々の思いを語った。

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