人口の50%以上を65歳以上が占める「限界集落」と化す事例が地方だけでなく、東京都内にも広がり始めている。高度経済成長期に建設された集合住宅で、半世紀以上の時を経て高齢化が進行。建設当時は若い住民や子供の笑い声であふれた団地も、住民の高齢化や施設の老朽化、店舗の撤退などにより、社会生活の維持が困難になる場合があるという。そんな団地の一つ、都営桐ケ丘団地(東京都北区)を訪ねた。
最盛期で5千世帯
JR赤羽駅から西へ700メートル。緩やかな坂を登った先に、都営桐ケ丘団地は静かにたたずんでいた。
都営住宅の低層アパートが林立し、「マンモス団地」とも呼ばれる桐ケ丘団地。高度経済成長期に入った昭和30年代、首都で急増する人口の受け皿として入居が始まったこの団地は、最盛期で5千世帯の住民が暮らしていたという。
「なんて騒々しいところに引っ越してきたんだろう」
建設当初、団地に移り住んだ80代女性は当時の賑わいぶりに、そう驚いたことを覚えている。
「欲しいものは何でも団地の中で買うことができた」と女性は振り返る。
買い物難民の時代
それから半世紀以上を経た現在。都や北区などによると、全体の2割が空き家となり、残る住民も6割が65歳以上の高齢者となった。
団地の中央には、昭和の香りを残した万国旗のたなびく商店街。平日の昼間にもかかわらず、多くの店がシャッターを下ろしていた。
店舗の減少を受けて、団地では「何でも買える」時代はとうに去り、いまや「買い物難民」が問題になっている。
年をとって足腰の弱った住民にとって、広大な団地の外にあるスーパーなどへの移動は、大きな負担だ。
団地外への移動だけでなく、団地内の移動でも一部の棟にエレベーターがないことが住民の不満の種になっている。実際、最近は団地を去る住民も少なくないという。
それでも、多くの住民を団地にとどめているのは、人とのつながりだ。
各部屋に風呂がなかった頃、小さい子供が一人で銭湯に行く風景は日常だった。「団地の誰かが面倒を見てくれるから不安はなかった」と住民の女性。
女性は「今でも毎週火曜日は住民合同で体操をするなど、入居者同士のつながりは残っている」と話す。
「まちづくり早急に」
そんな桐ケ丘団地に、建て替えの波が押し寄せている。
北区は建物の解体と合わせ、住宅や公園、にぎわい拠点などを整備し、新たな生活拠点を担うまちづくりを進めていく計画といい、まちづくりに関する動画をインターネットで公開するなど、区民への理解活動を進めている。
建物を管理する都は、平成8年から順次、解体工事を進めており、既に8割にあたる4千戸以上が「解体済み」や「解体中」となっている。
都は工事完了の目途を明らかにしていないが、往時をしのばせる桐ケ丘団地を見られる時間もそう長くはないかもしれない。
人口動態に詳しい政策研究大学院大学の松谷明彦名誉教授は「限界集落の問題は地方に限った話ではなく、都市部の古い大型団地でも深刻」とした上で、「行政は移動や買い物の機会確保などの現在の住民に対するケアと並行して、都市計画の改革や今より若い世代の呼び込みなど、数十年後を見据えたまちづくりに早急に取り組まなければならない」としている。(川島優治)