【評伝】取材のお断り 原稿用紙にびっしり書き込まれたおわびのファクス何度も 大江健三郎さん

2023年3月14日 06時00分

「さようなら原発全国大集会」脱原発を訴える大江健三郎さん=2014年9月、都内で(坂本亜由理撮影)

 大江文学という大樹は、故郷である四国の「森に囲まれた小さな谷間の集落」で生まれた。周縁から国家に対じする思想と、障害がある長男・光さんとの歩み、核時代の人間の生き方といった同時代的な主題があいまって、世界文学を代表する豊かな葉を茂らせた。
 社会的な発言を引き受け、護憲や脱原発の運動に積極的に関わる姿勢は、同じような志を持つ若い作家の手本だった。一方、小説では戦後社会のもろさをアイロニックな視点で描いた。徹底した軍国主義教育を受けた自らの中に、超国家主義思想の影が消せないことに、作品で真正面から向き合った。
 取材への対応が誠実なことに驚かされた。インタビュー依頼を断るために、原稿用紙にびっしりと多忙な理由を書き込んだおわびのファクスを、何度もいただいた。
 傷ついた女性を主人公の一人にした2009年刊行の小説「水死」の取材で、「人間は苦境から回復する力がある。それは僕がずっと考えてきた原理です」と熱く語っていたのを思い出す。日本社会を貫く男性原理主義の行き詰まりに早くから気づき、晩年の作品では女性に希望を託した。
 大江さんが描き続けた人間に対する希望と警鐘は、ロシアのウクライナ侵攻など悲惨な暴力に満ちた今の世界で、いっそう重みを増している。(石井敬)

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