代官山・ヒルサイドテラス誕生の経緯は? 朝倉健吾さんが語る「ヒューマンスケール」の価値<都の100年企業>

2023年4月30日 06時00分
 関東大震災も戦禍も乗り越え、創業から100年を超えて営みを続ける「都の100年企業」。第1回の東京・代官山の「朝倉不動産」(渋谷区)は、シンボルとなる低層建築群「ヒルサイドテラス」をつくった。世界的な建築家、槇文彦さん(94)とともにこの街で育んできた価値とは何か、代表の朝倉健吾さん(81)に聞いた。(石川修巳)

代官山の街づくりの中心となってきた代官山ヒルサイドテラス=渋谷区で

 ―前身の米店の創業から154年になる。
 三田用水に水車を設置する権利を得て、1869(明治2)年に開業したとされる朝倉米店がルーツ。精米や小売り事業が大きくなり、少しずつ買い集めた土地が現在のヒルサイドテラスにつながっています。
 しかし、戦時中の市場統制で米店は廃業。関東大震災からの復興で造られた同潤会アパートに刺激を受け、並行して代官山や恵比寿、中目黒でアパート経営をしていました。
 部屋数は25号館までざっと1000戸あったが、空襲で9割が焼けてしまった。主な収入源が絶たれ、さらに相続税などに充てるため、当時の自宅(旧朝倉家住宅=重要文化財)を売り、しのいだわけです。

代官山ヒルサイドテラスを手掛けた朝倉不動産の朝倉健吾代表=渋谷区で


木立の新緑が目を引く代官山ヒルサイドテラスのA棟=渋谷区で

 ―1969年、ヒルサイドテラスA・B棟が誕生した。
 98年のウエストまで、3~4年ごとに7期に分けて12棟つくりました。父は「みんな槇さんの言う通りに」と信頼していて、30年かけて同じ建築家と施主で完成させることができたのは奇跡的です。
 A・B棟は今や、東京都の歴史的建造物に。「ヒルサイドがこの街をつくった」と言ってくれる人がいるけれど、そうではなくて、1棟建てるごとに地域も世の中も変化する。時間をかけて街並みに溶け込んだのがヒルサイドなんです。
 不動産業は容積率とか、もうかる価値を求めることが多いけれど、僕らは逆に高さ制限を求めて運動した。住む人がいて、お店も仕事場もある。そのバランスが代官山らしさだし、空がよく見えるかとか文化の発信とか、住み心地の良い「ヒューマンスケール」の街並みが価値を高めているんだと思う。

代官山の街づくりを考える「代スキ会」の設立報告会=渋谷区で、2004年撮影

 ―地域組織「代官山ステキなまちづくり協議会」(代スキ会)もつくった。
 高層化する再開発に直面して、お互いに価値を高めるために話し合おう、というルールを定めた。「成長なき発展」とか「無償の愛」とかいうように、何でも大きければいい、という時代ではなくなってきているのかな。代官山はモデルのひとつになると思う。

おすすめ情報

東京けいざいの新着

記事一覧