図面、模型を失ったサグラダ・ファミリア ガウディが後世に残した完璧な「手掛かり」とは

2023年6月19日 06時00分
<連載・ガウディが見た世界>②

ガウディが多用した双曲面の模型を手に、聖堂の構造について熱く語る9代目主任建築家のジョルディ・ファウリ

 ガウディはサグラダ・ファミリア聖堂が未完のまま、1926年に死去した。その10年後にスペイン内戦が勃発し、混乱の中で聖堂も襲われた。主任司祭は殺害され、ガウディの仕事場は焼き払われた。
 図面は焼け、模型はバラバラに。断片や破片をかき集めての復元作業。後世の建築家は不完全な手掛かりで聖堂の建設を引き継ぎ、相当苦労したのでは―。ガウディの後継者である9代目主任建築家ジョルディ・ファウリ(63)に質問すると、即座に答えが返ってきた。「いや、ガウディは完璧な手掛かりを残した」

幾何学のルールで作られ、下から上に行くにつてれ円に近くなるガウディの柱

 理由は幾何学。例えばガウディの二重らせん柱は下から上に行くにつれ、八角形、十六角形、三十二角形、六十四角形というように円に近づく。ほかにも双曲線面、放物線面、らせん面など幾何学に基づいた形状が多用され、基本構造の多くが「明確なルールに基づいていた」という。
 「型はわずかしか残らなかったが、ガウディは『システム』を残してくれた」とファウリ。回転しているような柱の形は自然の木の形状を再現しただけでなく、十分な強度も備える。一見ばらばらに見える柱の直径や高さなども、規則的な比率があった。

サグラダ・ファミリア聖堂の塔のらせん階段。聖堂内はガウディが好んだ幾何学模様に満ちている

 また、建物は通常、基礎の土台から建築していくが、ガウディは先に「降誕の正面」をつくった。「自分が生きている間はサグラダ・ファミリアは完成しないと分かっていた。ガウディは明確なビジョンを示し、残りを後世に託した」
 柱の話をし始めると、止まらないファウリ。日本の展覧会に初出展されるガウディ作成の柱の型は古くて小さいが、「とても重要な展示物だ」と断言する。
 コンピューターのなかった時代に、ガウディは自然の美と幾何学を組み合わせたシステムを生み出した。「ガウディは天才であると同時に、努力の人だった。そして、将来の技術が建設を促進すると分かっていた」。ファウリは地元のカタルーニャ語の通訳を介さず、記者に直接英語で伝えようと、しばらく言葉を探してから「トラスト(信頼)」と言った。「ガウディは仲間を信じ、将来の人々を信じていた」(敬称略)=バルセロナで、加藤美喜、写真も

受難の正面の上に掲げられたガウディの十字架

 「ガウディとサグラダ・ファミリア展」(東京新聞など主催)は東京都千代田区の東京国立近代美術館で9月10日まで開催中。

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