<永き路の上から 永井路子名作案内>(3)茜さす(1988年) 歴史と現在の十字路で

2023年8月7日 07時56分

『茜さす』の単行本と自筆原稿。上段は川﨑鈴彦画伯による挿絵原画=古河文学館所蔵

 永井作品の中では風変わりな小説である。何しろ歴史小説家・永井路子が書く現代ゝゝ小説なのだ。見方によっては青春恋愛小説といえるかもしれない。友人の葬儀に向かう場面から始まる第一章を読んだくらいでは、永井路子の作品であるとすら思えないかもしれない。
 にもかかわらず、好きな作品の一つである。よく「オススメの作品は?」と問われたときに、いくつかの作品と併せ必ず挙げるのが本書『茜(あかね)さす』だ。
 主人公は現代の女子大生・友田なつみ。第二章では女子大での『万葉集』ゼミの風景を借りて、額田王と大海人皇子との相聞歌の解釈や壬申の乱の模様などが描かれる。このあたりから、俄然(がぜん)、「歴史もの」としての色が露(あら)わになってくる。主人公たち現代人が、持統女帝を中心とした万葉人の生と愛について語ることで現代と歴史を交差させ、女性の自立と孤独、愛のありようといったことを問いかけていくのである。
 まさに、女性史の立場で歴史小説を書いてきた永井路子ならではの作品といえる。
 新聞連載終了後、先生は「いれものに凝るというか、私はときどき、従来の小説とは違う書き方をしてみることがある。(中略)ふつうの歴史小説だったら、この小説のなつみの位置に筆者が立ち、歴史を手さぐりしてまとめてゆくのだが、ここでは、もう一つ背後に筆者がいて、なつみの動きを追っている。物語の進行過程で、歴史小説を書く手のうちをさらけだしてゆくわけである」と述べられているが、この手法は、私にはとても心地よかった。
 まんまと先生の思惑にはまったといえるが、歴史と現代の連続性がより強く感じられ、大げさに言えば、歴史小説のあらたな可能性すら感じさせる傑作だと思った。
 加えて、永井路子とその作品の研究に携わる者としては、この作品は別の意味でも大変興味深い。注目したいのは、「歴史小説を書く手のうちをさらけだして」というくだりである。
 作中でなつみが行う年表作りなどの作業は、まさに先生が小説執筆に際して行う作業であり、また、主人公や登場人物の造型など、随所に先生ご本人の生い立ちなどが色濃く投影されているように思われるのだ。虚構と事実の塩梅(あんばい)がじつに絶妙できわめて私小説的でもあり、永井路子研究にはうってつけのテキストといえるだろう。
 『茜さす』の連載は四百八十一回に及び、毎回、日本画家・川﨑鈴彦氏による詩情あふれる挿絵が添えられていた。そのうち百六十二点の原画が当館に収蔵されている。川﨑画伯から「永井路子ゆかりの文学館の開館記念に」とご寄贈いただいたもので、三十二点の額装、残りは三冊の画帖(がじょう)に仕立てられている。
 ご寄贈の直前、銀座の画廊で個展を催されていた川﨑画伯のもとへ上司とともにご挨拶(あいさつ)に伺った。会場で永井先生ご夫妻とも合流したが、新米の私は隅の方から歓談の輪を眺めていただけだった。
 ずいぶん後になって、額装などもすべて永井先生のお手配によるものだと漏れ聞いた。先生はご自身のお骨折りについては何一つおっしゃらず、ただただ、川﨑画伯の名品が古河に収蔵されることを喜んでおられた。(古河文学館長・秋澤正之)=毎月第一月曜日掲載
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 古河文学館では二十六日からテーマ展「原画でたどる永井路子『茜さす』」を開催予定(十月二十二日まで。月曜、第四金曜休館。九月十八日は開館し十九日休館、十月九日は開館し十日休館)。午前九時~午後五時。一般二百円、小中高生五十円。問い合わせは同館=電0280(21)1129=へ。

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