時代が追いついた フェミニスト 雑誌、既刊書で再注目 田嶋陽子さん

2020年1月18日 02時00分
 日本で誰もが知るフェミニストといえば、きっとこの人だ。法政大で英文学と女性学を教え、参院議員も務めた田嶋陽子さん(78)。三十年前、「ビートたけしのTVタックル」などに出演し、一世を風靡(ふうび)した。
 そしていま、再び注目が集まっている。当時を知らない若い世代にまで。
 昨秋は、雑誌『エトセトラ』が「WeLOVE 田嶋陽子!」と題して特集号を発刊。同時に新潮社から、二十七年前の著書『愛という名の支配』が文庫判で復刊された。この二冊の刊行を記念して先月開かれたトークショーは、約百席が即日完売。若い女性が「感動しました」と涙を流し、田嶋さんにサインを求める光景が繰り広げられた。
 研究職と議員を引退後、関西のテレビに出演するほかは、シャンソンを歌い、絵と書道をミックスした「書アート」を追究する日々。張りのある声、メッシュ入りのボブヘアや、キレのあるおしゃれも不変だ。
 「フェミニストなんて言葉使わなくていい。フェミニズムって、人に使われるだけの『女』から、一人の人間になることなんだよ」
 「カネ、カネいうな、って言われるけど、お金は『おあし』っていうでしょ。自分で自分の人生を自由に選ぶために必要な足なの」
 聴衆への呼びかけは平易だ。それは「自分がなんで苦しいのか考え抜いて、腹の底から絞り出した」言葉だからだろう。『愛という名の支配』を読んだ作家山内マリコさん(39)は「本当に分かりやすい。感動のあまり、道行く女性に本を配って回りたくなった」。
 近年のフェミニズムの世界的な広がりを、田嶋さんは「先取り」しているかのようだ。職場でのヒール靴強制をなくそうと訴える、#KuTooもしかり。田嶋さんは三十年以上も前に、「自分の足を取り戻す」という文章を書いていた。
 小学生から背も足も大きかった田嶋さん。母から「そんな大足では嫁に行けない」とけなされた。拷問のような窮屈なヒール靴で足腰を痛め、三十代になると、わずか数分の距離も歩けなくなった。ある日偶然に男物の靴を履いたら、駅から自宅まで一時間以上も歩けた。「女は小さく、か弱くあれ」という男社会の要求に合わせる「奴隷根性」で、自分の足を殺してきた。要は、自分の人生を生きてこなかった。そんな気付きと感動がつづられる。
 「差別は雨と同じで、濡(ぬ)れない女の人はいない」と、女性差別は社会構造であると説く。四十代半ば、二度目の英国留学で体験した恋愛で、支配したがる恋人と「対等の関係」を追い求めて苦悩するうちに、過去の抑圧に気付いたという。
 子ども時代、母から「不細工だ」「女らしくない」と罵倒され、虐待された。母も裕福な生まれなのに女ゆえに教育を受けられず、夫に依存せざるを得なかった。その鬱屈(うっくつ)から娘を傷つけていたと気付いた。当時、四十六歳。「四十六年かかって、ようやく一人前になったの」
 「女の人は、もともと自分の中にある男らしさを発揮すれば『人間』になり、幸せになれる」と語る。男らしさは「経済力」「決断力」「賢さ」など、独り立ちに必要な要素。一方、女らしさは「気配り」「優しさ」「家庭的」など他人を支えるもの。女性の家事や育児、介護の無償労働は膨大な額に上る一方で、それによるキャリアの中断が老後の貧困につながる…。こうした現実を、伝道師のように伝える。
 いま、三十年前のテレビ映像を見ると、印象はがらりと変わる。「男の方が絶対偉いもん」「女ってほんとバカ」という男性出演者に、田嶋さんは「女の人生そのものを男の下に置いていること、それをセクハラという」と反論する。
 正論を吐いても、男性陣が勝つ場面で終わるよう編集される。それでも出演したのは、視聴者がいたから。「なんで自分が苦しいのか、理由が分かったら少し楽になる。みんなに楽になってほしいのね」。電車で見知らぬ女性に突然、「励まされました」と涙ぐまれることもあったという。
 一本気な真剣さを嘲笑し、その優しさを見えなくしてきたのは誰だったか。かつてのフェミニストが再び脚光を浴びた、のではない。きっと、田嶋陽子にやっと時代が追いついてきたのだ。 (出田阿生)

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