長谷川利行(はせかわ・としゆきの)絵 芸術家と時代 大塚信一著 

2020年8月9日 07時00分

◆知的活動家としての姿に着目

[評]原田光(美術評論家)

 昭和初年頃から十五年まで浅草界隈(かいわい)を主な根城として、長谷川利行は画家生活をした。関東大震災で壊滅した東京下町が、急速な復興再生によってバラック状態のモダン都市に変わり、やがて戦時統制下の街となり、空襲でまた灰燼(かいじん)と帰す前までの変転暗転する中で絵を描いた。彼は下層の庶民、女や子供、芸人、女給を描き、カフェの内部や工場を描き、歩き過ぎてゆく街路筋を描いた。時代と合わせたような猛スピードの筆さばきで、すべて描いた。
 彼の生活はひと所に定住せず、家もアトリエもなく、木賃宿や友人の下宿を転々とするルンペン生活であった。油絵でもスケッチでも描いた先から売り、押し売りし、金は借り、ゆすりたかりをし、まず酒を飲んでから宿賃を出した。画材などはどう入手したのか。その結果だが、ガンにかかり、街路で倒れ、行路病者として施設に運ばれて、死んだ。
 戦後、長谷川利行の絵の評価が高まるとともに、自滅的な生活破綻もクローズアップされ、常軌を逸した生活者の絵といった捉え方がされて有名になった。大塚信一のこの本は、そのいわば窮乏が生んだ天才伝説を取りのぞき、画家の制作と生活の実態は、戦時下の統制強制に対抗した意識的で知的な実践行為だった可能性を指摘する。時代閉塞(へいそく)の中ながら、ヨーロッパ前衛を理解し、一方で日本の伝統の文人画の精神も研究し、その双方を吸収する知的活動家だったのではないかという。
 知的でも理性的でもあった画家が、その時代と対抗的に生きるために、ルンペン生活を選んだと仮定することによって、大塚氏は、画家の愛読書だったニーチェの自己超克哲学を実践したといい、ルンペン生活上の奇異な金銭感覚を、柳田民俗学の中の“モノモライ”の説で普遍化できるとする。
 知的に扱い過ぎると、長谷川利行はまた別個の伝説に紛れかねないが、彼が生きた時代と彼の絵が切実に結びついている驚異を、やや生活的な観点から知的に解き明かそうという著書である。
(作品社・2420円)
1939年生まれ。元岩波書店社長。著書『宇沢弘文のメッセージ』など。

◆もう1冊 

 尾崎眞人編・監修『読んで視る長谷川利行 視覚都市・東京の色』(オクターブ)。池袋モンパルナスそぞろ歩きシリーズの小冊子。

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