愚僧の文が悪いのか、はたまたサイトのパワーが低いのか(ほんな正直に言うてしもたら、怒られますがな)、このコーナーもなかなかお客さんがつきませんなあ。人生相談もひと休み。ここは本業に立ち返り、先に軽く紹介した般若心経を、何回かにわけ、より詳しく記していこうと思います。心経さんが語る仏教の神髄は、われわれ一人一人が人生をよりよく生きるための基礎知識でもありますから、わしゃ仏教徒じゃねえぞ、という方にもお役にたてるかと存じます。

 ●仏さまは説いております

 お経ってね、亡くなった人を送るため、一般的にはそう思われておりますが、そうじゃないんです。仏の教えを説いとるもんですな。だからそれぞれの正式のタイトルは決まって「仏説」で始まっとります。般若心経の正式名は「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」(ぶっせつ まか はんにゃ はらみた しんぎょう)といいます。サンスクリット語の「マハー プラジュニャー パーラミター フリダヤ」を音写したものです。

 仏さんは説いております。大いなる智恵の完成を。これはそんなお経です―。タイトルはそのぐらいの意味でしょうか。音写ですから、例えばアメリカのことを亜米利加と書くのと同様、漢字に意味があるわけではありません。

般若心経

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」(かんじざいぼさ ぎょうじんはんにゃはらみたじ)

 本文262字の始まりです。訳せば「観自在菩薩(ぼさつ)が智恵の完成に向けて修行していた時」となります。観自在菩薩とは、いわゆる観音さんのことです。「菩薩」は悟りを求めて自ら修行するとともに、私たちの修行も助けてくれる、ありがたい存在です。お地蔵さんなんかも菩薩ですね。

 お釈迦(しゃか)さんは仏さんになりました。次に成仏するのは弥勒さんとされますが、それがなんと56億年7千万年後で、それまでどうすんの、という問題が出てきました。では、ということで、地蔵さんは自分の修行を後回しにして、人々の救済に当たっています。心優しい菩薩=修行者です。

 さて、観音さんが修行していた時、どうしたというのでしょう。

 ●五蘊とは

「照見五蘊皆空 度一切苦厄」(しょうけんごうんかいくう どいっさいくやく)

 五蘊(ごうん)のすべては空であるということが分かった。そして一切のわざわいを超えたのである―。いきなりそうきますか、という感じですね。五蘊とは、物質的要素である「色」、外界からの刺激を感じ取る「受」、物事をさまざまに組み立てて考える「想」、意志の働きである「行」、認識作用である「識」。つまりは、この世のなんじゃかんじゃ全部です。

 心経さんはいきなり大胆にも、五蘊なんてホント、実体はねえんだぜ、と言い切っているんですね。しかもそれで一切の苦しみを乗り越えたというのです。

 でも、これは大変なことですよ。お釈迦さんは、人間は五蘊の集合体である、と説いているのですから。師匠に公然と反旗を翻したことになります。

 さあて観音さん、今度は何を言い出すか。元ロッカーの愚僧チョークー、般若心経はかなりパンクだなあ、と思うのであります。合掌。

                    ◇

 福島 聴空(ふくしま・ちょうくう) 高野山大卒。元高野山米国別院駐在開教師。高野山真言宗現福寺(小松島市)住職。令和元年から「仏教をうたう」と題した音楽活動を展開。1962年生まれ。大阪市出身。